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No. 1077 米が世界を植民地化  耕助のブログ H.26/06/13

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 No. 1077 米が世界を植民地化


耕助のブログ 2014年6月13日3:36 PM

 ウクライナ問題で軍事介入したロシアをアメリカが強く非難し、先のオバマ大統領訪日時には安倍首相もロシアに対してアメリカと協調行動を取ることで合意した。

 ウクライナ南部のクリミア半島は、住民投票によりロシアに組み入れられることになったが、ロシア帝国の一部であったクリミアは、1991年のソ連崩壊後も半数がロシア人である。反ロシア的な機運の高まったウクライナ政府を、ロシアの影響力を弱め、同じくこの地域を支配したいアメリカが支援しているのがこのウクライナ問題である。

ウクライナをめぐる欧米とロシアの駆け引きは、エネルギー資源をめぐる問題だと私は思っていたが、それは一つの要因にすぎないと考えさせられる本を読んだ。ワシントン大学の助教授、ジャコモ・プレパラータによる「ヒトラーを操る」(“Conjuring Hitler” 2005年)という本である。

 1900年以降のイギリス、そしてその後イギリスとアメリカがとってきた政策は、ヨーロッパとアジアを合わせたユーラシア大陸が一つにまとまらないようにすることであった。最も大きな大陸であるユーラシアが一つにまとまれば、その力は米英をはるかに超えるものとなり、そこに入らない米英の影響力は大きく後退する。ユーラシアの主要国といえばロシアとドイツであり、だからこそ米英の政界はナチスドイツに資金援助を行い2国が戦うように仕向けた。ヒトラーの台頭と政権掌握を支援し、対ソ攻撃に仕向けたのはアングロ・アメリカであったというのである。

 第2次大戦では、中国を侵略した日本がもう一つの大国となることもアメリカは絶対に許さなかった。米英の常とう手段は、イギリスがインドに対して行ったような「分割統治」であり、人種や宗教などの違いで分割した集団を互いに反目させることで長期にわたって統治するという戦略だ。イスラエルをつくることで石油の採れる中東地域を分割統治したり、韓国や中国との間に問題が起きるよう日本政府に働き掛け、アジア地域が平和の下で統一されることがないようにしているのもこの方法である。

 バイキングが1066年にイギリスを征服し、16世紀後半からイギリスによるアメリカの植民地化が始まった。今起きているのは、アメリカが世界を植民地化するという同じパターンである。ウクライナはその一つの試みにすぎない。

 日本では学校で英語を強制的に習わなければいけなくなった。日本にもある、世界を監視する電子スパイネットワーク「エシュロン」に参加しているのは、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドという米英同盟国だ。あちこちの地域で起きている出来事をつなぎ合わせれば、アングロ・アメリカによる世界統治は陰謀などではなく、まぎれもない事実だということが分かるのである。


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No.386 資本主義とは何か  耕助のブログ H.12/06/20

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 No.386 資本主義とは何か


耕助のブログ H.12(2000)年6月20日

今回は、資本主義の概念がどのようにして今のような形になったのか、どうやってこれだけ社会に浸透していったのかについて、様々な文献から私が学んだ知識をもとに、まとめました。

資本主義とは何か

イギリスの土地は、貴族の所有地を除き、そのほとんどは何世紀にもわたりすべての国民の「公共用地」であった。経済は交易ではなく、自給自足に基づいていた。つまり人々が食料を獲ったり耕作したり物を作るのは、自分や家族の需要を満たすためであり、他の人に売って利益を得るためではなかった。それぞれ違うものを作って近隣の人と交換することはあっただろうが、輸送手段が発達していなかったために、そうした物々交換は地元でしか行われていなかった。ほとんどの人は死ぬまで、生まれた村から遠く離れることはなかった。

すべての人々が狩猟や耕作、家を建てたり家族の自給自足に必要なものを作るために公共用地を使うことができた。しかし、そこには、自分と家族の健康と安寧のために必要な分の土地は利用してもよいが、それ以上の土地を独占してはならないという道徳的規範があった。働ける者が貧窮することはなく、働けない幼児や老人、病弱な人は親族や近隣の人々が面倒を見た。この状況はアーノルド・トインビーの『産業革命』に詳しく記されている。

確か15世紀であったと思うが、毛織物の市場が出現し、羊を飼って羊毛をこの市場で売れば金儲けができることを発見した人々がいた。彼らは公共用地の囲い込みを始め、そこで暮らす人々を力づくで追い出し、それでも立ち退かない場合は家や作物を焼き払った。もちろんこれは違法行為だが、多くの場合、権利よりも力が優先した。このことからもわかるように、「民営化」は新しい概念ではなくこの頃から存在していたのである。

土地を追われた者たちはせいぜい抗議するくらいが精一杯で、彼らを守ろうとしたイギリス国王さえ、広大な土地を手にしてオリバー・クロムウェルのもと団結して対抗する者たちによって捕らえられ処刑されてしまう。そして自分達の仲間で議会を結成し、武力で取り上げた土地の所有を合法化する法律を成立させた。さらに公共用地の私有化のために「囲い込み」を許可する法律を次々に制定し始めた。この「囲い込み」はその法律の制定者にとって功を奏し、19世紀末には、イングランド、ウェールズ、アイルランド、スコットランド全土の半分がわずか2,512人によって所有された。

その間ロンドンなどの大都市では1ヵ所に集まって商品を売買したり、金銭を貸し借りして利益を手にする商人階級が出現した。社会的地位を高め政治的影響力を持つためには、広大な土地を所有する必要があったために、商人たちは商品の売買や金貸しで得た利益で土地を購入したり、土地所有者との縁組みで所有地を増やしていった。こうして土地所有者と財界人が結び付けられるようになった。


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