WISDOM エジソンを唸らせた男 NEC創始者 岩垂 邦彦
~アメリカと日本を電気で結んだ男の軌跡
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旧、豊前国豊津にあった小倉小笠原藩の藩校・育徳館で学び、後に世界を舞台に、大きく羽ばたいた人がいます。
2009年11月28日。
福岡県京都郡みやこ町に、近代化が進む明治時代に偉業を果たしたその人の記念碑が完成し、除幕式が行われました。
岩垂邦彦。
NEC・日本電気の創始者にして、かの発明王・エジソンを唸らせた男…。
(峯高寺 住職 村上 達亮さん)
「私が小学校にあがった頃、ある日非常に颯爽としたお方にお見えられて、この近所にない服装をされて非常に軽快、そして、ステッキを持って私の地域の住職が一緒にお参りして、その時『今参った方は、電気を入れられたとっても偉い人よ』って言われて…」
(孫・十合晋一さん)
「割と正義感があるというか、弱い者いじめをするのをすごく怒ったというような所があったみたいです。
ハトに餌をやるとですね、太ったハトが出てきて、弱いハトが食べようとするとちょんっと頭をつつくんですよね。杖でもって、そういう意地悪なハトを追っ払ったりするなんて、そんなことはなんとなく覚えていますねえ。」
(孫・吉岡道子さん)
「小さい時はただ怖いばかりで…。年を取りまして、案外細かいとこに気がつくやさしい人だということを色々な人から聞きましたり、思ったりするようになりましたけれども。
いろんなことが出来て、目的のために我慢してやれた人だと思います。一度決めたことを一生懸命努力する人だったと思います。」
岩垂邦彦は、エジソンの下で働き、学んだ最初の日本人です。
長い鎖国の時代があけ、文明開化の波が打ち寄せたその時代、先見の明をもって単身アメリカに渡り、黎明期の電気事業に携わった工学士・岩垂邦彦・・
やがて、日本初の日米合弁会社「日本電気」を創業し、通信機器のトップメーカーに育てあげます。
世界の、そして日本の電気事業の黎明期に、アメリカと日本を太いパイプで結んだ岩垂邦彦。その軌跡に迫ります。
生い立ち
幕末の安政4年(1857年)、岩垂邦彦は、小笠原藩の家老の次男として現在の北九州市小倉に生まれました。
やがて、幕府方と新政府方とがしのぎを削る明治維新。
新政府方にあった小笠原藩は、城をあとにして豊前・豊津、現在のみやこ町に藩を移しました。
一説によると…
(講談師)
「邦彦が14歳の時、まさに時代を象徴するような事件がおきます。邦彦の父、喜多村修蔵が暗殺されたのです。そこで邦彦は、兄とともに仇討ちを決意いたします。」
ところが、仇を探して上京した邦彦兄弟が見たのは…。
文明開化まっただ中の東京!
その目にとまったのは、慶応義塾の傍らを小脇に図書を抱えて登校する書生たちの生き生きとした姿でした。
時代は大きく変わり、仇討ちなどと言っているような時代ではなくなっていたんです。
二人は、父が願っていたのは、私的な復讐ではなく、維新による新しい国づくりに役立つことではないだろうか。そう考えたのかもしれません。兄弟は仇討ちをやめ…、学問の道に進んだんです。
地元、みやこ町に戻った岩垂邦彦は、藩校「育徳館」で勉学に励みます。
当時としては珍しく、オランダ人教師カステールから洋学も学んでいます。
そして、後の東京大学工学部となる工部省工学寮に進みます。
新しい国づくりを目指して明治政府が設立した初めての本格的工学系の大学です。授業は英語で行われ、電信の技術を理論と実践双方から学びました。
官費学生だった岩垂は、卒業後、義務奉職として工部省に4年間勤務。
その後、単身アメリカに渡り、エジソンの会社に初の日本人として採用されます。
明治19年(1886年)のことでした。
岩垂は、エジソンの下で、さらに、電気・電信技術を習得していきました。
※工部省=1870年(明治3年)鉄道・鉱山・工作・灯台・電信・造船など殖産興業をつかさどるために創設された中央官庁。85年に廃止。
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