

新党憲法9条 2015年10月15日
信じられない事が国会で起きている。
先の安保法案強行採決に関する議事録が、安倍政権の手ででっちあげられていたというのだ。
すなわち、あの国会の最後の場面では、怒涛の中で強行採決を宣言する委員長の声はなかった。
ところが国会議事録では、採決を宣言する鴻池委員長の発言を「聴取不能」とした上で、「可決すべきものと決定した」と付け加えていたというのだ。
考えられない改ざんだ。
いや、改ざんでさえない。
完全なでっちあげだ。
行われなかった事を行われたと記録したのだ。
国会議事録は国会の審議状況を末代まで残す、いわば国会の生き証人である。
だからこそ、その記事録は忠実に書かれ、国会答弁で間違った答弁をしても、そのまま再現される。
いくらなんでもそれは明らかな言い間違いだ、恥ずかしいと、事後に訂正する場合でも、与野党の了承を得て行われなければいけなかった。
私がまだ駆け出しの時、政府委員に間違った答弁をさせ、あとでその訂正の為に政府委員と一緒になって与野党の委員に頭を下げて回った事がある。
政争とはまったく関係のない単純なミスでさえそうだった。
そんな私にとって、この報道は驚きだ。
単純ミスではない。
強行採決という政治的対立の根幹にかかわる問題である。
しかも記録間違いではない。
完全なる意図的ねつ造である。
委員長の採決宣言が無かったとなると強行採決さえもなかったということになる。
これは大変だということになって、ありもしない事を記事録に書いて残そうとしたのだ。
ついに安倍政権は、安保法案の強行採決をここまでして正当化しようとしたのだ。
これは横暴どころではない。
政権の断末魔ではないのか。
それにしても情けないのは、こんな事をさせた野党の体たらくだ。
野党が健在なら、いくら安倍政権もこんなでっちあげは出来なかっただろう。
バレタあとの反動が怖いからだ。
ここまでのウソが横行しても、安倍政権も野党の抗議も、まるで緊迫感が無い。
メディアも大騒ぎをしない。
政治不在、国会不毛も、ここに極まれりである
(了)