[You-Tube動画]~執念が生んだ新幹線~ プロジェクトX 旧陸海軍出身の技術者たち…
三木忠直は戦時中、爆撃機の設計を行っていた航空技術者。
人の命を救うための技術開発に心を痛めていた
三木は、戦後「人の役に立つものを作りたい」と鉄道技術研究所に入所。
「飛行機」の理論を「鉄道」に持ち込み「夢の超特急」を設計する。
プロジェクトX ~執念が生んだ新幹線~
Shinkansen bullet train that produced a project X obsession
https://youtu.be/u-HhvOkWomI
2015/10/20 に公開 43分09
執念が生んだ新幹線
~老友90歳・飛行機が姿を変えた~
「とにかく戦争はもうこりごりだった。だけど、自動車関係に行けば洗車になる。船舶関係に行けば軍艦になる。それでいろいろ考えて、平和利用しかできない鉄道の世界に入ることにしたんですよ。」
三木忠直(元鉄道技術研究所)
「東京~大阪3時間への可能性」。昭和32年5月、国電の車内に張り出された講演会の吊り広告が、戦後日本の最大のプロジェクト「新幹線」建造の道を開くことになった。
この講演会は、国鉄鉄道技術研究所にいた旧陸海軍出身の技術者たちが中心となって企画したものであった。中心人物の一人、三木忠直は戦時中、爆撃機の設計を行っていた航空技術者。人の命を救うための技術開発に心を痛めていた三木は、戦後「人の役に立つものを作りたい」と鉄道技術研究所に入所。
「飛行機」の理論を「鉄道」に持ち込み「夢の超特急」を設計する。この計画は、当初国鉄内部では「非実現的」ち受け入られなかったが、講演会の発表が世論を動かし、翌年、新幹線プロジェクトが動き出す。
流線型の車体、振動を吸収する新型の台車、ATC(自動列車制御装置)…。旧陸海軍出身の技術者は次々に新しい技術を開発し、昭和38年、新幹線は世界最高速度256㎞/hを記録。新幹線は世界に日本の技術の高さを見せつけると同時に、欧米の鉄道界をも劇的に変えていく。