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<朝日よ!中曽根を徹底取材しろ> 本澤二郎の「日本の風景」(1746) H.26/09/03

本澤二郎の「日本の風景」
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朝日よ!中曽根を徹底取材しろ>



本澤二郎の「日本の風景」(1746) 2014年09月03日

<朝日よ!中曽根を徹底取材しろ>

 朝日の勇断を誉めたい。取材ミスを認めたことは正しい。過ちは個人・組織・国など誰にも、どこにもある。気付いたら訂正・反省する勇気が必要で、朝日はそれを実行した。
 むろん、それでもって従軍慰安婦問題が消えたわけでは断じてない。
 吉林省公文書館が公開した関東軍資料の中にも登場している。日本軍による慰安所開設の事実は国際常識である。日本政府はこのことに真摯に反省し、謝罪することでしか、過去の重すぎる罪を償うことは出来ない。
 読売や産経など極右宣伝新聞が、鬼の首を取ったようにはしゃぐのは、実におろかなことである。
 朝日新聞は、この際、元海軍主計中尉・中曽根康弘の慰安所開設の事実を徹底して取材して、真実を明かす責任がある。

<慰安所を開設した海軍主計中尉>

 中曽根が海軍主計中尉時代の自慢話を、直接聞いたことのある政治記者は多いはずである。これに反発する政治家もいた。「中曽根は鉄砲玉が飛来する戦場経験がない。だから軍拡改憲を平然と主張できる」と非難していた。
 主計の仕事の一つが、兵士向けの慰安所の開設だった。それを主導して喜ばれた、と吹聴する文章を書いていたようだ。十分、そのことを想像できる。
 それが防衛省資料に残っているということも、どうやら本当の様だ。朝日はこの事実をしっかり取材して、ナベツネの鼻をも明かしてもらいたい。朝日の取材力、特に社会部にはその力がある。


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中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が(リテラ) ★阿修羅♪ 掲示板 H.26/08/30

★阿修羅♪ 掲示板

中曽根元首相「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が(リテラ)


★阿修羅♪ 掲示板 赤かぶ 2014 年 8 月 30 日 01:25
http://www.asyura2.com/14/senkyo170/msg/574.html

 中曽根元首相の“手記”が収録されている『終りなき海軍』(文化放送開発センター)


中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が
http://lite-ra.com/2014/08/post-413.html
2014.08.29 リテラ


 朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
 
 だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
 
 大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。

 何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。中曽根元首相は自分の“手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。

「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」

 まず、“手記”の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。

 タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。

「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」
 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。

 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。

 このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。

 だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の“手記”のほうがデタラメということになってしまう。だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。

 いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。 

 国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。

 資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。
 
 本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。

 宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。

「バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる
 主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」

 さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。

 それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日~同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。

 そして2つの地図を見比べてみると、“ある変化”があることに気づく。「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。

 つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。 

 もはや言い逃れのしようはないだろう。「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」という記載。それを裏付ける地図。中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。

 しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。

 実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。
 
 つまり、中曽根首相がこうした“強制連行”に関与していた可能性も十分あるのだ。

 朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。

 しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。

(エンジョウトオル)

JAL123便の真実(御巣鷹山墜落事故)  zeraniumのブログ H.23/11/27

zeraniumのブログ


 JAL123便の真実(御巣鷹山墜落事故)


zeraniumのブログ 2011年11月27日 (日)


   日本ですでに核兵器が製造されているという情報があります。
   長野県の某所で密かに稼動する核施設でプルトニウムが取り出され、岩手県にある表向きは民間施設の軍需工場で原水爆を製造し(コバルト)、日本近海の孤島にある貯蔵施設に隠されているそうです。しかもその原材料であるウラン精鉱(イエローケーキ)は北朝鮮から入っています。その島の周辺では、近年魚の大量死といった不審な出来事が続いたため調査したところ、自然界に通常存在している値の実に600倍に相当する放射能が検出されました。現在は民間人が立ち入り禁止になっており、近づくことさえできません。

   日本は本来、非核三原則によって核兵器の保有、開発、持ち込みを禁止していますが、それに対する法的な拘束力もありません。日本の場合、アメリカの核の傘で守られることになっていますが、アメリカが日本を守る保障などどこにもありません。ですから「日本の国土と日本人を守るためにやむを得ず、核を自前で装備するしかない」と考えるのは、ある意味自然な成り行きかもしれません。何しろ日本には技術力もあるし、お金もあります。密かに製造して持っていても何の不思議もないのです。そうした情報は、意外と身近なところにありました。

   私の父はかつて科学技術庁に勤めていました。
   その父は、秀才だった従兄を呼び寄せて入庁させ、ある時期一緒に働いていたことがあります。その従兄の妹と私は歳が近かったこともあり、よく連絡を取り合っていたのですが、ある時、彼女がこんな話をしました。
  「兄さんは行き先も言わないで出張することが多いんだけど、おじさん(私の父)もそうだったの?」
   私の父は会計畑だったこともあり、出張することはあまりなかったのですが、技術畑の従兄は何かの開発に携わっていたようで、繰り返し出張していました。彼の妹は、ひょっとしたら核兵器じゃないかと疑っていたようです。もしそうであれば、従兄が仕事の内容を家族にも一切話さなかったのは当然です。出張先も言わなかったようで、真実は今もって闇の中です。ただしある時、私が従兄に「日本で核兵器は製造できないの?」と尋ねると、従兄はこう答えました。
   「できないも何も、アメリカだろうとフランスだろうと、日本の技術がないと核兵器は製造できないよ。日本がその気になれば二ヶ月で製造できる。」

   核兵器を積んだミサイルを飛ばすためには、ICチップにせよ半導体にせよ、日本製の部品が必要なのです。アメリカの対テロ戦争にも使用されているステルス機にも使われる、レーダーに捉えにくい塗料は日本でしかできないし、小松製作所が特許を持っているパワーショベルやブルドーザーは発射台などの施設を作る際に不可欠なものです。ちなみに可動式の発射台に使われる、1メートル当たり80トンの荷重に耐えられるレールは、日本でしか作れません。あとはプルトニウムですが、その入手も難しいことではありません。一番難しいのは、核兵器を製造することよりも、その事実を隠すことなのです。そして事実、日本は核兵器を製造し、その事実を隠すために過去に何度も大きな犠牲をはらってきました。 

 JAL123便の真実


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JAL123便の謎は深まるばかり。 岩下俊三のブログ H.26/08/14

岩下俊三のブログ


 JAL123便の謎は深まるばかり。


岩下俊三のブログ 2014年08月14日12:29

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僕は残念ながらいわゆる「陰謀論」には組しません。面白くするためにアクセスを増やそうとは思いません。

なぜなら

いくらネットで頑張っても新聞テレビの視聴者や購読者にはるかに及ばないからです。ネット言論が具体的に政治を動かしたことはないからです。

にもかかわらず

あのJAL123便の生存者は七人(落合さんを入れると8人になる)という「報道」がなぜあったのか、そして忽然と消えた「生存者四名」の行方、事故直後に「報道」された自衛隊員の射殺という「死体一名」の行方がすっと気になって仕方がないのです。

毎年8月12日悪夢にうなされてしまうのです。

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中高生主体の「トンデモ説」のネットなら誤報も真相究明も関係がないが、少なくとも報道機関の検証裏どりは「それなりに」厳しいはずなのに、、、である。

誤解しないように言っておくが、僕にはマスコミを擁護する意図は全くない。

しかし

飛ばし誤報は当たり前のマスコミの実態はよく知っているつもりだが、それでもネットに出回る「陰謀説」や「トンデモ説」よりも実際に取材行為をしている分だけ「確からしさ」「信憑性」「蓋然性」は高いと言わざるを得ない。

もちろん

真実を誤魔化したり、意図的な嘘をつくメディアがないとは言っていない。NHKを筆頭に最終的には権力の走狗であるがゆえに「生存」が許されているのだからマスコミはうそつきといわれればその通りかもしれない。

しかし権力従属のため意図的に「嘘」はつくかもしれないが、意図的な「誤報」を出したい奴はいないのである。(と信じたい)

いかなる異論反論も一般的に流通している説(通貨と同じでたとえ幻想であっても実際に「流通」している)マスコミないし政府承認のたとえば事故調査委員会の報告に反論したりそれに対抗して新説を唱えたりしているのである。

、、、という長い前置きを付けたうえで、1985年8月12日に起きたJAL123便の墜落事故(事件?)については多くの謎が残っており未解決のままやがておよそ30年をむかえることになったのである。

あらためてこの事件は

自分自身も報道ディレクターとしてだけでなく個人的にも「不思議」なかかわり方をしたし、いろんな本や雑誌でも自分の意見を述べて来た。また本業でもこの件のいろんな特集番組を制作してきた。

それでも

やはりおかしいとは思いながらどうしても「陰謀論」や大胆な推論に納得できない自分がいるのである。

もちろん

事故調査委員会の圧力隔壁金属疲労説を信じてはいない。それは原発を絶対「安全」だという「神話」を信じろというのと同じぐらい困難であるだろう。

JAL123事件に何の疑問も持たない人はほとんどいないのだけれど、だからと言って真相を解明することがいまだにできていない。

何とも繰り返すけれど

圧力隔壁が破裂して尾翼を吹っ飛ばしたというのに、僕が聞いた範囲では機内の減圧は起きていないということがハッキリしている。そして焼け跡の現場でも人が跡形もなく焼けているのに、紙や付近の木々が焦げたりしていないという事実があった。

またレーダーでずっと追跡していたり、空から落ちて来る何かを見た目撃情報もあるのに、墜落場所がわからないとか、全く違う場所を報道したり、海の上を捜索してみたり。横田の米軍の救援を断ったり。放射性物質のせいにして県警や消防団の捜索、救助活動を疎外したりしたということも確かにあった。

これらのこと、そして先に掲示した日経新聞の記事も、、、すべて現場が混乱していたという一言でかたずけられるとは到底思えない。それが通るなら福島の原発事故(事件?)だって「想定外」の一言で終われるはずであろう。

僕は日本中駆けずり回りシアトルのボーイング社まで行って件の修理工を特定したし、もとっとも早く救助に「向かった」米軍関係者も、そしてJALのC.Aとも対談した、、、、、さらに現場で拾われたミサイルにしか使わない「金属の破片」も実際手にしたことがある。

にもかかわらず「証拠」不十分

日本航空と「あるもの」は推定無罪なのである。圧力隔壁説をどうしても覆せない自分がいるのである。

返す返すも残念でありふがいない、このふがいなさ残念感を負いつつ老いさらばえて死んでいくのであろう僕は仕方がないけれど、乗員乗客や遺族の無念が晴れることはないのが心に残る。

いまはただ、

29年目の合掌

[日本航空123便墜落事故]  自殺した航空自衛隊員が所持していた 2枚の写真 (世界の真実の姿を求めて!) ★阿修羅♪ 掲示板 H.22/08/15

★阿修羅♪ 掲示板

[日本航空123便墜落事故]  自殺した航空自衛隊員が所持していた 2枚の写真 (世界の真実の姿を求めて!)


★阿修羅♪ 掲示板 純一 2010 年 8 月 15 日 13:14
http://www.asyura2.com/10/senkyo92/msg/474.html

【「日航123便は自衛隊に撃墜された」と言ううわさがある。この「あり得ない」ようなうわさ、すでに後部圧力隔壁の破損と原因を結論付けられているが、果たして真相はそうなのか? 事故後25年を経過したにもかかわらず、なお因果関係を説明できない事象が絶えないのはなぜか。本稿はその手がかりの一端を提起したものである。】


(以下、本文転載貼り付け)


http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1095.html

2010-08-14

自殺した航空自衛隊員が所持していた2枚の写真

日本航空123便墜落事故が発生して、2日前に25年が経過した。

日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日18時56分に、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故。

自衛隊員の自殺数は1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。
(一省庁のなかで1年間で90人これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった。)

最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった。

そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、(これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる)

そのうちの一人(9月12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、

一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。


この時の状況だが二人は自殺をはかった直後に発見され、自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も、検視解剖もされなかった。
だがこの写真の異様さに気づくだろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。
それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人とも遺書は残していない)

そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真。
暗い倉庫でフラッシュ無しで撮影されたよう。
これはなんなのか?
自殺した航空自衛隊員が、なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?


日航123便の垂直尾翼はその70パーセントが見つかっていない。

写真(b)の右はじ部分まくれあがってるような部分があるがそこにオレンジと黒の色が見えるが、123便に使用されている塗料は白黒赤だけであり、「オレンジ色」は一切使われていないという。

折れ曲がりボロボロだが、これは失われた「70パーセント部分」ではないだろうか!?

自衛隊は二種類の鮮やかな「オレンジ色」のミサイル照準訓練用の小型標的機を所有している。

【写真(A),(B)】 http://blog-imgs-32.fc2.com/o/u/j/oujyujyu/08141.jpg


http://plaza.rakuten.co.jp/topsecretx/diary/200802250000/


【写真(日航マーク)】 http://blog-imgs-32.fc2.com/o/u/j/oujyujyu/08142.jpg


【動画 : 日航ジャンボ123便 JAL123 墜落現場 】

      http://www.youtube.com/watch?v=Yu4WkvI5cL4&NR=1
 ※ 削除されています。投稿者


第4話 自衛隊員の自殺率の嘘

1981年より自衛隊員の自殺数の調査が行われている、そして1982年から自殺数が急激に上がり1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。

だが実は1981年に調査を開始した記録はなく、1986年に急に以前から調査していたかのように自殺数を公表しはじめた、一省庁のなかで年間これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった、しかもなぜわざわざ81年から調査しているなどと嘘をつかなければならないのだろうか?
自殺率増加という一見マイナスイメージしか生まない情報操作はなにを意図したものであろうか?

最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった、そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、(これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる)

そのうちの一人(12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、

一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。

(ぼかしをいれてある)この写真の二人だが、当時隊内では同性愛者の心中ではと茶化されておわったという、
この時の状況だが二人は自殺をはかった直後に発見され、自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も、検視解剖もされなかった。

だがこの写真の異様さに気づくだろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。

それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人とも遺書は残していない)


そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真だがこれはなんなのか?なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?


http://plaza.rakuten.co.jp/topsecretx/diary/200802260000/


前回の写真の正体を追及したい。

下の「資料3」の赤い部分、日航123便の垂直尾翼はその70パーセントが見つかっていない。

「資料1」の写真は暗い倉庫でフラッシュ無しで撮影されたようで、解像度が非常に悪かったのを
最大まで解像度を上げ補色処理をしたものだが、何にみえるだろう?

折れ曲がりボロボロだが、これは失われた「70パーセント部分」ではないだろうか!?
相模湾上空で失い行方不明のはずの垂直尾翼の写真をなぜ自殺した自衛隊員がもっていたのか、もし自衛隊で回収したのであっても隠す必要はどこにもないはずである。

ここで一つのある「うわさ」に行きつく、「日航123便は自衛隊に撃墜された」
と言ううわさである。

ありえない!なんのために自衛隊が民間機を撃墜しなければならないのか、
そんな必要もメリットも何もない。荒唐無稽な話としか思えないだろう。

よく自衛隊は民間機や客船、漁船などを敵にみたて、ぎりぎりまで接近しミサイルのレーダーロックの訓練を頻繁に行っているのは有名な話だが、ここでミサイルを誤射するなどは絶対あり得ない!

別の可能性、自衛隊機と衝突したのであれば飛行中の破損はさらに甚大であるし機長たちも事故前にわかるはずである。

「資料1」の右はじ部分まくれあがってるような部分があるがそこにオレンジと黒の色が見えるが、123便に使用されている塗料は白黒赤だけであり、「オレンジ色」は一切使われていないという。

事故当時のニュース映像で日航側の事故調査員が金属片を回収しようとして証拠隠滅の容疑で自衛官に連行されたが、自衛官がなぜ連行なんかしてるのか関係者の間で疑問だった、その後この映像は一切流れることはなかった。

このとき調査員の回収しようとした金属片も日航機には使用されていないはずの「オレンジ色」の破片だった…

ここで一番下の写真を見ていただきたい、自衛隊の採用している二種類の鮮やかな「オレンジ色」のミサイル照準訓練用の小型標的機である…

【日航機墜落 フジ特番で新事実】フジTVさん、もちろん中曽根と米軍共謀の撃墜である事実の内容ですよね? さゆふらっとまうんどのHP ブログ H.26/08/10

さゆふらっとまうんどのHP ブログ


【日航機墜落 フジ特番で新事実】フジTVさん、もちろん中曽根と米軍共謀の撃墜である事実の内容ですよね?


さゆふらっとまうんどのHP ブログ 2014/08/10/pm 05;32

2014年8月12日で1985年(昭和60年)日航機墜落事故から29年
(30年目と記事にはある)

日本で航空機テロのご予定は無いですよね?

【日航機墜落 フジ特番で新事実】
フジTVさん、真実とはもちろん中曽根と在日米軍共謀の撃墜である内容ですよね?
公共の電波を使っているのですから、公益のある放送なんでしょうね?

日航機墜落事故から30年目という事で、我々日本人は、マレー機の被害者に益々の繋がりを感じ、彼らの冥福を祈ると共に、彼らの存在意義を行動で作り上げる事で彼らに敬意を示さなければいけない

つまり、これら航空機事件の背後の組織は同じであることを拡散し
それらとの戦いに勝利する事で彼らを生かすのだ

マレー機事件で僕らの兄弟が殺された。
それを日航機撃墜後、数々の航空機事件を含め日本人が止められなかったという事は、日本人として世界に恥ずべきことである

ワールドフォーラム代表 佐宗邦皇氏
      2009年8月8日、日本航空123便の御巣鷹山に墜落した事件(1985年8月12日)の真相を追っていた佐宗氏は、ビデオの月例会で話している最中、ペットボトル「おーい!お茶500ml」を一口飲んだ、そのわずか30秒~1分程で突然倒れ、翌日死去。

「ドーン、ドーン、ドーン」日航機墜落30年目に判明した爆発音 フジが特番
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140810-00000523-san-soci

産経新聞 8月10日(日)15時35分配信

 昭和60年の日航機墜落事故から30年目となる8月12日、フジテレビは機内の再現ドラマや当時の映像、墜落現場での中継などを交えた特番「8.12日航機墜落 30回目の夏 生存者が今明かす“32分間の闘い” ボイスレコーダーの“新たな声”」(午後6時半)を生放送する。フジは今回、コックピットのやりとりを記録したボイスレコーダーの詳細な解析を実施。衝撃音の回数や、これまで判読不能とされてきた会話の一部など「新事実」が判明したという。

 事故にあった日航機123便は昭和60年8月12日、羽田空港から伊丹空港に向かう飛行中、機体に異常が発生。機体は制御を失い、32分後に群馬県上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」に墜落し、乗客乗員524人のうち520人が死亡した。

 ■「ドーン、ドーン、ドーン」

 フジテレビは今年春、これまでマスコミに公表されていた音源よりも、より鮮明に記録されたテープを当時の事故調査委員会の関係者から入手。テープを独自解析したところ、これまで聞き取ることのできなかったコックピットでの約60カ所のやりとりのうち、約20カ所が明らかになったという。

 フジの張江泰之チーフ・プロデューサー(46)によると、事故調査委員会が行った調査報告書では、衝撃音は「ドーン」と1回だけだった。これに対し、最新の音響技術で解析したところ、「ドーン、ドーン、ドーン」と3つの衝撃音が確認できたという。特番では、この衝撃音が意味することを詳しく取り上げ、「事故のさらなる真相」に迫る。

 張江さんは「当時できなかった音の解析が、技術が進化した30年目の今ならできるようになった。突然の事故を受けて動揺しながらも、最後の最後まで生きようと頑張った(コックピット内での)やりとりが残されていた」と話す。

 また、事故当日の気象データなど多くのデータを解析。CGを駆使した「レベルの高い飛行再現」(張江さん)を行い、「なぜ123便は御巣鷹に向かったのか」を考える。「事故のことを知る人にとって、『そんなことがあったのか』と思うことの連続になると思う」と張江さん。

 ■ドラマ、現場中継も

 フジは今回、生存者の乗客の女性に取材。女性は「事故を自分の記憶に留めるのではなく、後世の記録として残したい」として取材に応じたという。その証言などをもとに、ダッチロールや度重なる急降下にさらされた当時の機内の様子、何とかして事故を回避しようとした機長らの必死の操縦を再現したドラマを放送する。

 このほか、生存者の救出に携わった人にインタビューを行い、当時の墜落現場の状況や、生存者を発見したときの様子を語ってもらう。自衛隊が当時撮影していた現場の映像も放送。墜落時刻の午後6時56分前後には、現場からの中継も行われる。

 張江さんは「日航機事故は決しては忘れてはいけない大事故で、交通機関の安全を考えるうえでの“シンボル”にもなっている。最近の若い人の中には事故のことを知らない人もいると思うが、記憶を語り継ぐという意味でも、事故を知らない人にもぜひ見ていただければ」と話している。

 

<国粋主義者・中曽根康弘の地元・群馬県で右翼妨害事件?> 本澤二郎の「日本の風景」(1634) H.26/05/29

本澤二郎の「日本の風景」
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<国粋主義者・中曽根康弘の地元・群馬県で右翼妨害事件?>


 右翼に塩を送る財閥

 北京とソウルでの法廷監視を

 幸い、北京とソウルの裁判所が、三井や三菱の事件を正式に受理した。
 財閥による侵略戦争の実態を解明できれば、東京裁判を上回る成果を21世紀の日本人とアジア人は手にできるだろう。



本澤二郎の「日本の風景」(1634) 2014年05月29日

<国粋主義者・中曽根康弘の地元・群馬県で右翼妨害事件?>

 国際ジャーナリストから下段の伝言が届いた。なぜか添付資料が開かない。ネット妨害も起きているのだろうか。右翼の暴走事件である。群馬というと、中曽根康弘と福田赳夫の攻防で知られる。後者は安倍の祖父・岸信介の後継者のため、その影響を強く受けていたが、それでも日中平和友好条約を締結した。息子の康夫はリベラルで、靖国参拝に反対、安倍の対極にある。中曽根は読売のナベツネ言論を利用で、しぶとく核武装の黒幕として政治的影響力を行使、今も安倍の背後で改憲軍拡の国粋主義拡大に力を尽くしているらしい。むろん、健康が許さなくなっているが。

<「記憶・反省・友好の碑」に右翼攻撃>

 財閥が主導する戦前の日本軍国主義政府は、侵略戦争を遂行するために中国人や朝鮮人を強制労働に駆り立てた。そのために大陸や半島から強制連行して、全国の鉱山や軍需産業で働かせた。多くが命を落とした。
 その反省と謝罪をこめて、群馬県の有志が朝鮮人被害者のために「記憶・反省・友好の碑」を建立した。ここまでは良かったが、いま群馬県の右翼が暴走、碑の撤去を求める運動を展開している、というのである。
 中曽根の地元ならでは、の動きと見たい。なんとも恐ろしい。安倍・国粋主義政権に歩調を合わせているのであろう。
 もっとも、石原・橋下の維新の党の分裂は幸いといえる。

<右翼に塩を送る財閥>

 ご存知、右翼の活動資金は、それが財閥から支出されるため、潤沢である。街宣車一つ見ても理解出来るだろう。
 この裏事情を、宇都宮徳馬から教えられて、何も知らない政治記者は大いに納得したものだ。戦前、読売紙上で、時の軍国主義政策を批判してきた宇都宮ならではの鋭い分析である。右手に剣、左手にオリーブの財閥を理解出来ると、日本が見えてくる。中国などで徐々に広がってきている。ここ20年余の努力が多少、報われてきた感がしないではない。

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〔佐高信の政経外科〕中曽根康弘の「海軍魂」に「竹槍」一本で立ち向かった美輪明宏の「肝っ玉」  ★阿修羅♪ 掲示板 H.25/03/18

★阿修羅♪ 掲示板 

〔佐高信の政経外科〕
中曽根康弘の「海軍魂」に「竹槍」一本で立ち向かった美輪明宏の「肝っ玉」


★阿修羅♪ 掲示板 gataro 2013 年 3 月 18 日 14:39
http://www.asyura2.com/13/senkyo145/msg/341.html

NHK紅白歌合戦 2013 美輪明宏「ふるさとの空の下で」

http://youtu.be/Jxp964zCs8I

紅白2012「ヨイトマケの唄」美輪明宏

http://youtu.be/qt70qMMSlhY

--------------------------------------
http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/24714533.html


 【佐高信の政経外科】
 ◆ 中曽根康弘の「海軍魂」に「竹槍」一本で立ち向かった美輪明宏の「肝っ玉」(今 言論・表現の自由があぶない! )


 昨年大晦日のNHK紅白歌合戦で「ヨイトマケの唄」を歌った美輪明宏の圧倒的な存在感が評判らしい。
 私はこれまで二度インタビューしているが、美輪の肝っ玉のすわり方がハンパでないことがどれほど伝わっているか、不安である。
 少なくとも林真理子やビートたけしのような軽薄才子にコラムのネタにしてほしくはない。
 十五年余り前に会った時に美輪は、「マスコミは、普段、言いたいことを言わせてくれませんので、ライブやスピーチの仕事では、思いきり言いたいことを言わせてもらっているんです」と語り、
 「長崎の実家は、戦前、カフェ、料亭、金貸し業、お風呂屋さんとやっていましたが、どれも、本音と建前を見破る商売でございますからね。昼間、どんなに“エライさん”が行ない澄ました顔をしていても、夜になると女給のスカートの中に手を突っ込んだり顔を突っ込んだりして、ビールをかけられてヘラヘラしている。だから、私に対して権威が通じなくなるんです」と述懐していた。


 そして二〇一〇年の夏にインタビューした時には、十歳での被爆体験を踏まえて、戦争は醜で、「美といちばん村極にあるもの」だと言い、原爆の実験場として日本中を灰にしたアメリカやイギリスをいまでも許さない、と怒って、「私はアングロサクソンって大嫌いなんです。もともと海賊ですからね。英国とアメリカの歴史は、他人の土地を乗っ取って殺人して、略奪して。ろくでもない奴らですよ。悪魔ですよ。よく世界のポリスなんて言ってられる」と声を高くした。


 次の指摘も忘れられない。


 「軍が支配すると、その国は亡びます。後先の考えもなしに、ただ根性、根性、根性。神風が吹くなんて馬鹿なことを言って。奴らが日本を破滅に導いたんです。日本人が日本人を殺したんですよ」


 ◆ 「○○○○ついてんのか」爽快な毒舌を堪能すべし


 中曽根康弘への名指し批判も凄かった。
 中曽根に会って、いきなり、「キミらみたいなのは海軍魂を知らんだろうな」と言われた美輪は、
 「ええ、年齢が年齢ですから、海軍魂は知りませんけど、原爆にやられました。竹槍の練習もさせられたし、銃後の守りでいろいろやらされました」と返し、
 さらにこう反論した。


 「でも、おかしいですね。そんなに海軍魂とやらが大層なものだったら、何で負けたんですか。向こうが原爆つくってる時に何で私たちは竹槍をつくらされてたんですか」
 中曽根の無礼に対する美輪の怒りは、これでとどまらない。
 「自分の同僚を見殺しにして、おめおめと帰って来て、腹も切らないでのうのうとしている。そういう面汚しの厚かましいのが海軍魂なら、私は知らなくて結構です」
 トドメを刺されて中曽根は撫然として席を立って行ったという。


 その後、新幹線に乗ったら、中曽根が先に座っていた。美輪の席はその真後ろである。それでも仕方がないから知らん顔をして座っていると、秘書が次の車輌に行き、老夫婦を連れて来て交替した。逃げたわけである。
 この逸話を紹介した後の美輪のタンカがまた気持ちがいい。
 「男の風上にも置けない。てめぇ、キンタマついてんのかですよ。たかが芸能人風情に対してね」
 特に若い人たちは美輪の爽快な毒舌を堪能してほしい。


『サンデー毎日』(2013/2/10【佐高信の政経外科】)

JAL123便墜落と「オレンジ物体」の関係について更に Richard Koshimizu's blog H.26/04/12

Richard Koshimizu's blog


 JAL123便墜落と「オレンジ物体」関係について更に


Richard Koshimizu's blog 2014/04/12 07:35

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JAL123便墜落と「オレンジ物体」の関係について更に

2014/4/10 17:16

少し調べてみましたが、ファイアビーとおぼしき物体が写っているそうです。どうやら「オレンジ」がキーとなります。 該当箇所のみ投稿します。

[URL] http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/499.html

第5に、123便墜落の決定的な「なぜ」である。『週刊現代』8月14日号は、この点に関する本書の問題提起を4頁にわたって大きく取り上げている。タイトルは「JAL機墜落25年後の真実」。本書のグラビアにも掲載されている写真で、父母と妹の3人を失ったA氏から提供されたものである。そこに「何か」が写りこんでいる。これはA氏の父親がR5(右側最後部)ドア近くの窓の外を連続撮影したうちの1枚である。最初の方は、窓の外の普通の風景で、これを撮影したのはA氏の妹で、旅の思い出として撮ったものとされる。だが、その次(10枚のうちの5枚目)から不思議な写真が続く。窓の外に異変を感じ取り、それを確かめるように何度もシャッターを押しているようにも見える(『週刊現代』の著者インタビューより)。

青山さんはパソコン上でこの写真を拡大していったところ、オレンジ色に変色していったという。画像処理の専門家にこの写真の検証を依頼したところ、「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見えます」という。ネガを直接鑑定すれば、この「オレンジ」の正体も分かるだろう。123便は「横」からのG(圧力)によって機体が揺れている。「後部圧力隔壁損壊」では横揺れは起きないという。この「オレンジ」が右方向から123便に接近しているとすれば、この「オレンジ」と123便墜落との間に重要な関連があるとは言えまいか。

練馬からです


「ファイア・ビー?ですか?の一部っぽい写真を載せているページがありましたので、お知らせします。色が同じだとすぐに気づきました。」

画像: http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/cef8923d0ee677bfd4c43d7d4bf34dc5



 コメント

■ しーあいえー中曽根は安倍、小泉以上のA級売国奴ですな。アメリカからポンコツ原発を輸入し、利権構造を作り、事故って除染元請けも中曽根ファミリー企業。日航123事件も中曽根主犯みたいだし、みんなで泣かーそーね、って言ってる場合じゃなく、コイツは何万回地獄に堕ちても足りないね。

噂タク 2014/04/12 10:37

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JAL123便と国産『トロンOS』の関係には着目していませんでした。  Richard Koshimizu's blog H.26/04/10

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 JAL123便国産『トロンOS』関係には着目していませんでした。


Richard Koshimizu's blog 2014/04/10 10:40

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JAL123便と国産『トロンOS』の関係には着目していませんでした。

トロン開発技術者17人が搭乗していた?

情報を求めます。

墜落現場に散乱していたという派手なオレンジ色の破片。海自の無人標的機ファイアビーの残骸だった?ファイアビーを123便尾部に突っ込ませて尾翼を破壊した?情報感謝。


2014/4/5 15:38

日本航空123便墜落事故でも同様のことが起きている。事故の犠牲者に国産OSである『トロンOS』の開発技術者17人も含まれていた。 OSを「トロン」にしていたら、無償というメリットもあって世界中のパソコンに採用されていた。マイクロソフトWindowsの市場の独占も無かったかも知れない。

マイクロソフト=ビルゲイツ=NWOメンバー

http://ameblo.jp/64152966/entry-11055224942.html

K美姉さん

↓RK文書

JAL123便「撃墜事件?」:ファイヤビー関連情報 

http://richardkoshimizu.at.webry.info/201106/article_61.html

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