
積哲夫 精神学協会 2014年12月25日
2014年は、もうすぐ終わり、2015年という年がはじまります。
この2015年を迎えるために、日本列島が動きはじめています。
この地の動きは、そこに乗って生活している日本人の、意識と身体の両方に影響を与えていることが、これからはっきりしてくるでしょう。
その影響は、もしかすると、日本人というものの存在のかたちを、いままでとは違うものにしてしまう可能性を秘めています。
現時点で、私が知っていることのなかからこの世に伝えてもよい範囲のことを、この光文書の読者へのクリスマスプレゼントとして、今日は記すことにします。
2015年は、日本人の意識が、1945年から続いたある種の魔境で生きる人間のものから、これからの時代を担う、次世代の選民意識へと劇的に変化するはずです。
その意識の変化は、西欧の民主主義というものが、聖書に記された、わたしは妬むものである、という旧約の神の思いの方向性から生み出されたもので、ひとりひとりの人間のうちで、光と闇の戦いを引き起こすために仕組まれたものだということに気づくところから生まれます。
ここにきて、資本主義の暴力性は、ますますはっきりしていますが、西欧文明が生み出したイズムと名のつくものは、すべて、この光と闇の対立に立脚しており、この文明を滅びに導く因子を、私たちは人間の歴史のなかで増幅してきたのです。
ムハンマドが啓示によって、敵対するキリスト教文明圏のことを、戦争の家と呼んだことは、今日までの歴史を見れば、正しい予告だったと誰もが気づく時代が来ているのです。
イエスは十字架上で殺され、ムハンマドは戦いのなかで死を迎えますが、その時には、すでにイスラムの国は生まれていました。
私が知っている、このクニの神話は、ムハンマドが立った後に、この極東の小さな島国に、精神界の全データを集積して、やがてくる日に、役割を担える民を用意するために置かれたものです。
それは、過去の死んだデータではなく、これから機能するデータなのです。
2014年の8月に、私は古事記と日本書紀の役割は、ある意味で終了したと、この人間の世に伝達しましたが、それは、用意されたものの本体がこれから姿をあらわすことの予告でした。
古事記は、予言の書でもあるという特性を持つということは、これまでもお伝えしてきた通りですが、それは、これから時空を超えて、あるいは形を変えて、この世で現実化することを私たちが体験する時代に入るということです。
ここで重要なのは、日本人の精神性なのです。
中国で生まれた儒教を、武士道という日本独自のものの考え方、行動体系に吸収したように、たとえば、フリーメイソンリーの自由、平等、博愛というスローガンを、日本人が日本語のなかで考え続けるときには、その出発点の、光と闇の対立、または、その背後にある悪意を、ピュアなシラスクニの統治モデルに置き換えることが可能になります。
日本は、はじめヨーロッパに、次にアメリカに、近代的な社会のあり方を学ぼうとしましたが、このクニの善意は、世界を支配するルールの運用者からは、理解されない、または、敵視されるものでしかありませんでした。
もはや、地上に学ぶべきモデルがないことに気づけば、次の時代は、このクニから固有の考え方が生まれていくはずです。そのときに、実は学ぶべきものが天に蓄えられていたと気づくように、このクニの歴史は用意されたというのが、私がお知らせしていることのすべてなのです。
宗教の血塗られた時代を終わらせるのは、神の問題をひとりひとりの人間の人生のなかで理解できる、覚醒したものの役割なのです。
私たちは、誰でもがブッダにもイエスにも、ムハンマドにもなれる、人間という姿を与えられてこの世に生を受けています。
とくに、日本人は、かつて神界語であった日本語によってものを考えるという特権を与えられています。
このクニの精神界には、人間は神々のひとつ手前の段階にある意識体であるという情報が伝えられてきました。
それは、精神学的ないい方をするなら、私たちは神性を磨くことで、光の座に到ることができる存在、つまり、神の問題を解決できる存在だということなのです。日本のこの秘密の扉が、たぶん2015年に開きます。
それは、日本神話の岩戸開きではなく、地球上の人間の可能性を開花させるものになるはずです。
2014年12月25日 積哲夫 記