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「特攻に送り出した側の本音が残っていた。すさまじくエグい。:松浦晋也氏」(晴耕雨読) ★阿修羅♪ 掲示板 H.26/07/31

★阿修羅♪ 掲示板



特攻に送り出した側の本音が残っていた。すさまじくエグい。


 特攻命令者の大半年金もらって生涯を全うした者ばかりだ」:松浦晋也氏」(晴耕雨読)



★阿修羅♪ 掲示板 赤かぶ 2014 年 7 月 31 日 18:18
http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/292.html

「特攻に送り出した側の本音が残っていた。すさまじくエグい。:松浦晋也氏」

http://sun.ap.teacup.com/souun/14838.html
2014/7/31 晴耕雨読

https://twitter.com/ShinyaMatsuura
 特攻に送り出した側の本音が残っていた。

 すさまじくエグい。

 戦後70年に向けて:いま靖国から/40 生き永らえた命令者 - 毎日新聞 http://t.co/S4I74esXVr

 全員がこうとは思わないが、それでも送り出す側に、こういう人がいたこと、自分は文字通り人生を全うしたことは記憶しておいていいだろう。

 人間、長生きせなあかん。

 > 渡辺洋二氏の著作を読むと特攻命令者の大半は年金もらって生涯を全うした者ばかりだとありましたから、一部どころの騒ぎではないと思います…。

 > 言葉が悪すぎるが「死人に口なし」を思い出した。アフリカやアジアの少年兵と同じ構図が見える「子供をだますのはたやすい」とか、こうしたワルのオヤジは反省なぞしない。

 91歳が覚悟を決めて語ったのなら、事実であろうな。



 関電、歴代首相7人に年2千万円献金 元副社長が証言 - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/fefg

「政治家を敵に回したら何も動かない」という言葉がリアル。

 かつて社会の中枢にいたお年寄りがぶっちゃけるのは、とても良いことだ。

 事実関係の把握なくして、過去から未来へのフィードバックはかからないのだから。

“献金の理由は「一に電力の安泰。二に国家の繁栄」”というのも、なかなか深いな。

 当時の電力会社経営陣はどのような理由で、政治家への献金が安泰と繁栄をもたらすと判断したのだろうか。

  > 関西電力の内藤元副社長への取材は昨年12月に始まり、「現金を運ぶ場面を話し始めたのは数カ月後だ」という。取材は今月にかけて23回、69時間にわたって行われたという。→関電、歴代首相7人に年2千万円献金 - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/fefg

 読む。

 ネトウヨは、卒業することを知らない 湯浅誠×やまもといちろう リベラル対談(前編)東洋経済 http://t.co/eq5EWtvNpW

 うわー、「ネトウヨ」と「放射脳」がまとめてばっさりやられている。

「しかるべき教育を受けて物事を考える能力があり、相応の立場にいる人が、人前で日本は神の国だとか、従軍慰安婦問題の偏向報道は是正するべきだとか、南京大虐殺はなかったとか、言うかといったら言わないですよ。」……身も蓋もなくばっさりだ。

「42歳から46歳にでっかいボリュームゾーン」「ネトウヨの恐ろしいところは、卒業を知らないことですよ。」

「ずっと同じような主義主張をもって大人になり、老人になるんだと思います。」

「ネットの世界だから、暴走族とかと違って、体がきつくなったりしませんものね。」…もうボコボコ。

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http://t.co/S4I74esXVr

 戦後70年に向けて:いま靖国から/40 生き永らえた命令者

 毎日新聞 2014年07月26日 東京朝刊

「父も自決すべきであった」

 陸軍特攻を総指揮した第6航空軍司令官、菅原道大(みちおお)中将は戦後38年生き永らえ、95歳の天寿をまっとうした。次男の童謡作曲家、故深堀道義氏は、それから18年、父の人生を考え詰め、自分も75歳の老年に達した2001年に本を書き、あえてこのような見解を世に表した。

 父の生前は問題を避けていたが、没後、特攻遺族から「お父さんを絶対に許せない」とののしられ、真剣に向き合うようになった。

 深堀氏の妻は「夫は義父を心から敬愛していました」と語る。遺族の怒りは無理もないが、戦後56年たっても尊父の戦争責任を総括しなければならないと決意した司令官の息子の苦渋もまた、いかばかりであっただろう。

 第6航空軍は特攻生還者を福岡市の振武(しんぶ)寮に隔離し、参謀が「なぜ死なない」と責め立てた。公刊戦史にも出ていない施設だが、戦後58年過ぎて記録作家、林えいだい氏(80)の執念の取材により、実態が明るみに出た。

 寮の管理者は、菅原中将の部下である倉沢清忠少佐。戦後は一橋大を卒業し、勤めた会社の社長に栄達して03年病没した。享年86。

 生還者の報復を恐れ、80歳まで実弾入り拳銃を持ち歩き、自宅には軍刀を隠し持っていた。それでも「特攻は志願だった」と言い張り、慰霊祭など特攻の顕彰に熱心だった。

 林氏は東京都内の倉沢氏宅を初めは半ば強引に、半年余りで都合4回訪ね、のべ20時間以上のインタビューを敢行した。福岡県・筑豊地方の林氏宅に残る録音テープには、今日流行する特攻賛美のきれい事とは裏腹な、送り出した側の本音があけすけに語られている。

 例えば、学徒動員の特別操縦見習士官に比べ少年飛行兵は「12、13歳から軍隊に入っているから洗脳しやすい。あまり教養、世間常識のないうちから外出を不許可にして、小遣いをやって国のために死ねと言い続けていれば、自然とそういう人間になっちゃう」などと証言している。そんな暴言・放談がたくさん残る。

 当初取材を拒んだ倉沢氏は、4度目には自分から林氏を招いて大いに語り、直後に倒れて世を去った。初めて重い荷を下ろしたのか。

 誠の哀悼から死者を思い、魂を問い、霊性を聞くのなら、命じた者たちの応答は欠かせまい。今の靖国に、祭られた死者たちと生き残った者たちの対話はあるか。=次回は29日掲載<文・伊藤智永/写真・荒木俊雄>


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