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神を自らの外へ求め始める時、人は宗教にはまる zeraniumのブログ H.26/11/16

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 神を自らの外へ求め始める時、人は宗教にはまる


zeraniumのブログ 2014年11月16日 (日)

   外に現れた宗教的ドラマは、それが個人レベルで自分の内なる本質を反映していると思われる限りは、重要で価値あるものに思えるでしょう。自分の信じている宗教が、そうしたものを表すものだと感じられる場合において、人はその宗教の価値を実感することができるものです。しかしほとんどの宗教というものは、それ以外の体験(宗教)を否定し、除外した上に成り立っています。しかも自分たちの人種や民族、特定の人々といった、しばしば極めて限定された集団内だけにそうした原理を適用させているのです。

   私がお話していることは、キリスト同様、釈迦にも該当します。
   両者ともが、実は内なる投影を物質的に表現していくことを試みていたのです。マホメットはまだその段階には達してはいませんでした。イスラム教の場合は破壊的活動の優位性が投影された結果、まさしく破壊行為や流血行為を経て、入信や宗教的一体化が第一義であったために、愛や人間関係などは二の次と考えられたのです。

   こうした外に現れた宗教的ドラマの中で、ヘブライ人(ユダヤ人)は一風変わった役割を演じていました。彼らの抱いていた唯一絶対神の概念は彼らにとって目新しいものではなく、古代宗教の多くは、他のすべての神々に君臨する唯一神を信仰していたのです。しかしこのすべての神々の上位にあるとされた唯一神は、ヘブライ人がこぞって従った唯一神よりもはるかに寛大な存在でもありました。

   古代の他の多くの部族が極めて的確に、個々の生命には普遍的な内なる霊が宿っていることを信じており、たとえば樹木の霊や、花の精霊などを信じていました。そうした小さな神々や精霊などの一部が属する、「総体的な全霊」というものが存在することを受け入れており、それはすべてが調和して作用し合っているというものでした。

   しかしヘブライ人が求めたのは、地上を見下ろし監視する、怒りと正義、時に復讐と残虐さを持ち合わせた神でした。そしてヘブライ人の多くの宗派が、人間以外の生き物にも分霊である内なる霊が宿ることを否定したのです。ヘブライ人の神は、まったく異なる種類の人の内なる投影を表しています。そして後の奇跡の数々は、自然が通常とは違ったふるまいを強いられるといった形で提示されます。ヘブライ人の神は「調和ではなく」、「あらゆる自然」に敵対する者同士という名目で「人類」と同盟関係を結んだのです。

   初期のヘブライ人の神(旧約聖書の神)は、人の自我の象徴でした。
   その神はまるで怒りに駆られた子どものようであり、雷や稲妻を投げつけては敵を破滅に追い込みました。そのように頭をもたげた人間の自我は、感情的、心理的にだけでなくさまざまな問題を次々に生み出していきました。それまで自然と共存して生きてきた人々は、自然から分離独立して存在するという感覚を強めていきました。彼らにとって自然は、何かに対して矛先を向けるための道具になってしまったのです。


   
 神を外へ求め始めた時、宗教が生まれた

   あなた方とっては今では忘れ去られた古代部族ですが、そうした多くの人々にとって、人は自然の一部であり、自然の延長や広がりを人の存在の延長であると見なし、感じることができたのです。そうした時代には、人は鳥や樹木や蜘蛛などの精霊とよく通じ、打ち解け、互いに理解し、意思疎通ができたのです。彼らにとって死とは恐れの対象ではありませんでした。なぜならそこには意識の循環があり、輪廻ということが理解されていたからです。

   さて、この時点で、本来内に存在するはずの神が「外」に存在するものとされたのです。(創られた宗教の始まりです)。人々の意識は、自らの外側にある峠を越えたのです。その結果、人々は自らの内なる現実に次第に意識を集中しなくなり、外にある物質的世界にのみ意識を向けて生きるようになりました。そしてそれ以来、宇宙は外側に存在するものとなり、宇宙と人とは別個に存在する異質なものと映るようになったのです。

   外側へ向けて投影された神は、人や自然から分離独立した概念となり、なおかつ人のエゴや才気、残忍さ、力や支配欲を併せ持った自我の反映となりました。しかしさまざまな神々もまた、霊的な現実を究めて進化する立場にあります。「神を選ぶ時には十分に気をつけなさい。さもないと神々相互の張り合いをただ増長させることになる」と言うのは、十分に真実なのです。

   あなた方の世界には他の現実レベルや意識状態へと通じる入り口を護る、さまざまな神々や悪魔、鬼についての古い物語が、今日に至るまで何世紀にもわたって伝承されています。しかもアストラル・レベルには、きちんと番号まで割り振られて分類されています。そこに入るには試練を克服しなければならず、そのための儀式もとり行なわれます。しかしながらこうしたすべての事例は大々的な歪曲の結果です。あなた方は自分自身の現実を自ら創り出し、自分の内なる信念に従ってそれを生きるのです。ですから受け入れる信念がどのようなものであるかに関しては、注意深くあることが大切です。

 二元的対立概念を超える

   もう一度ここではっきりと述べますが、魔物や悪霊は自分自身の信念から創り出さない限り存在しません。つまり、善悪の効力は根本的な幻影に過ぎず、すべての行為とはより大いなる善の一部なのです。私は、悪辣な行為もすべて正当化されると言っているわけではありません。あなた方が二元的対立概念として「善悪」を受け入れている段階にある間は、当然、「善行」の方を選択すべきでしょう。

   二元的対立概念が存在根拠を持つのは、あなた方の現実体系においてだけです。
   対立概念というのは、実はあなた方が未だ理解していない深い一体性を表すものなのです。ですから善悪の概念だけでなく対立する二元的概念のすべては、現時点であなた方が選択している意識の種類に起因しています。つまり、あなた方が知覚しているのは全体ではなく部分なのです。顕在意識というものは、自分が現実の一部だとは思わないものを知覚することはありません。

   よって対立概念の効力は知覚力の欠如に起因し、その状態にのみ有効です。
   自分が知覚する世界でだけ生きなければならない中では、対立概念が存在のための条件のように映るのです。「善悪」の概念はあなた方の言葉ですが、それは自らの存在の神聖さや、意識には責任が伴うことを、自覚できるようになるために役立ってくれるのです。さらにあらゆる対立概念は、成長しつつある自我にとって不可欠な指針となります。

Seth Speaks

book 『セスは語る』 ジェーン・ロバーツ著
 ナチュラルスピリット 抜粋


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