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衝撃取材! 桶川ストーカー殺人:黙殺された「新証言」と冤罪を訴える「主犯格」の手紙。近い将来、大逆転劇か? トカナ 2015.11.02 

とか


 衝撃取材! 桶川ストーカー殺人黙殺された「新証言」冤罪を訴える「主犯格」の手紙
 近い将来大逆転劇か?



トカナ 2015.11.02. 

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※イメージ画像:『桶川ストーカー殺人事件―遺言―【Kindle版】』


 10月26日で発生から16年を迎えた桶川ストーカー殺人事件。ストーカー規制法が制定されるきっかけにもなった有名な事件だが、「主犯格」小松武史の裁判で実行犯の男が検察の筋書きを覆す「新証言」をしていた事実はあまり知られていない。武史から筆者のもとに届いた手紙には、そのことに関する意外な「真相」が綴られていた――。

■検察の筋書きを覆した実行犯

 埼玉県桶川市の女子大生・猪野詩織さん(事件当時21)が、JR桶川駅前の路上で刺殺されたのは1999年10月26日の午後1時前のこと。猪野さんは事件前、元交際相手・小松和人(同27、かずひと)の配下の男たちから自宅周辺に中傷するビラを大量に張り出されるなど凄絶な嫌がらせをうけていた。

 埼玉県警は2カ月後、和人が営む風俗店の店長だった久保田祥史(同34)を殺人の容疑で逮捕。さらに県警は翌日、和人の営む風俗店で現場を統括していた実兄の小松武史(同33)や、殺害の現場に同行した風俗店従業員の男、ふたりも共犯者として逮捕した。

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※画像:猪野さんが刺殺された現場

「武史が和人の意向をうけ、久保田らに猪野さんの殺害を依頼した」。それが久保田の自白や事件前の状況に基づき、県警が描いた事件の筋書きだった。ところが――。

 波乱は2002年2月12日、さいたま地裁であった小松武史の第52回公判で起きた。

「私はこれまで取り調べや自分の裁判で、小松武史から被害者の殺害を依頼されたと証言してきました。しかし本当は、武史から殺害など依頼されていなかったのです」

 この公判に証人出廷した久保田はそう証言し、武史が事件に関与していたことを否定した。検察側の最重要証人でもあった実行犯があろうことか、主犯格とされた武史の「冤罪」を証言したのだ。

 ただ、この久保田の新証言はさほど大きく報じられなかった。この事件では、所轄の上尾署の怠慢捜査や告訴状の改ざんが発覚して大問題になっており、世間の関心もそちらに向いていた。結局、久保田の新証言は「著しく信用性に欠ける」(さいたま地裁判決)と退けられ、一貫して無実を訴えていた武史は2006年に最高裁で無期懲役刑が確定。この結末に異を唱える声は当時も今も皆無に等しい

 だが、改めて事実関係を調べてみると、久保田の新証言の信ぴょう性は案外否定しがたいのだ。

■解明されなかった謎

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※画像:久保田が服役している宮城刑務所

 この事件では、そもそも捜査段階から「なぜ主犯格が和人ではなく、武史なのか」という疑問が指摘されてきた。猪野さんの元交際相手である和人ならともかく、武史には猪野さんに殺意を抱く事情は何も見当たらないからだ。キーマンとみられた和人本人が逃亡先の北海道で「自殺」したこともあり、そのあたりの謎は結局、十分に解明されないままだった。

 さらに武史の裁判では、久保田と他ふたりの共犯者とされる風俗店従業員に対し、武史が事前に報酬の約束をしたり、逃亡の計画を指示した事実が一切なかったことも明らかになった。それどころか事件直後、武史は久保田たちをカラオケボックスに呼び出し、「最悪の結果になった」「なんでだ」と久保田を叱りつけ、自首を勧めていたという(by同席した別の風俗店店長らの公判証言)。殺害を依頼した首謀者の言動としては、これはあまりにも不自然だ。

■手紙に綴られた事件の内幕

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※画像:小松武史から届いた手紙

 そこで筆者は千葉刑務所で服役中の武史と手紙をやりとりし、様々な疑問を率直に質してみた。武史から届いた返事の手紙には、事件後のカラオケボックスでの久保田とのやりとりについて、次のように綴られていた

(以下、〈〉内は引用。断りがない限り、句読点以外は原文ママ)。

〈クボタは、これくらいやらないとマネージャー(和人)がなっとくしないと思いましてと(目に涙をためていた)と言ってきたので、私は、そんな訳ないだろうと怒り、和人も自首しろと言ってると言って、弁護士の名前もクボタにつげて、クボタはそれをメモにとっていて、その時、これは弁護士代と言って、袋を渡したのです。これが事実です!〉

 これだけでは話が少々わかりづらいが、要するに武史は「久保田はそもそも事件直後から自分とは関係なく、和人のために猪野さんを刺したと犯行に及んだことを認めていた」と訴えているのだ。

 さらに武史の手紙によると、武史は風俗店の現場では嫌われ役を務めており、久保田にも小言を繰り返し、給料を「10万円」にするなどの仕打ちをしたこともあったという。

〈そうとうに向こう(筆者注:久保田)も私を嫌っていたでしょう…逆に和人は、反対に、お金を多くあげたり、飲みに付れて行ったり、とうぜんに好かれるように久保田とつきあってました〉

 つまり、久保田は和人の意向をうけ、猪野さんを刺しておきながら、警察に逮捕されると、普段から嫌いだった武史のことを首謀者にでっち上げた――。武史はそう訴えているわけだ。

■「怒りのエネルギーで生きている」

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※画像:千葉刑務所。武史は獄中で無実を訴え続けている

 武史は手紙で弟・和人に関することも色々綴ってきたが、それも興味深い内容だった。

〈私と弟の関係ですが(略)私は当時より(前妻も)弟が大嫌いですし、死んでも私の恨み憎さは、まだ半分あります!〉

〈和人は、何があっても和人自身の保身だけ考えて、何があっても武史の責任と、当時より考えていた男です…そんな男を許せる訳がないです〉

 手紙だけでは、和人が具体的に武史にどんなことをしたのかは少々イメージしにくかった。だが少なくとも、武史が和人のうらみを晴らしてやるため、久保田に猪野さんの殺害を依頼するほど弟想いの兄ではなかったことはよく伝わってきた。

 もちろん、武史の主張を何もかも鵜呑みにはできないが、実際問題、武史の主張は客観的状況や久保田の「新証言」ともよく整合している。たとえ久保田に殺害の依頼をしていなくとも、武史は風俗店で久保田らの上司であり、猪野さんへの嫌がらせにも関与していたため、道義的責任は免れない。だが、その主張が事実なら、これも「冤罪」ではあるだろう。

〈逮捕後も、私にそのような事を全て、私に押しつけられ…全てを失い、冤罪とかゆうレベルではないと思いましたし、怒りを通りこし、当然、当時は生きていたくないと毎日思っていましたが…不名誉なまま終れないと考え、怒りのエネルギーで、今日まで生きて来てます〉

 武史はすでに一度再審請求しており、それは実らなかったが、現在は第2次再審請求を準備中という。宮城刑務所で懲役18年の刑に服している実行犯の久保田も出所が間近に迫っている。そう遠くない将来、世の中をあっと驚かせる大逆転劇もあるかもしれない。

(取材・文・写真=片岡健/片岡健の【死刑囚の実像】シリーズまとめ読みはコチラから)


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