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気さくな名物経営者 樋口廣太郎の勲章拒否宣言 「佐高信の一人一話」 2015年11月23日

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 気さくな名物経営者 樋口廣太郎の勲章拒否宣言



DIAMOND online 「佐高信の一人一話」 2015年11月23日


経営者の語る文学論に感心したことはほとんどないが、樋口廣太郎の司馬遼太郎評と藤沢周平評には唸らされた。

『味の手帖』という雑誌の1997年5月号で対談した時、樋口はこう言ったのである。

「司馬さんは好きだけど作りすぎるの。『坂の上の雲』にしても何にしても栄光を当てようとするでしょう。だから藤沢さんと全然違うんだよ。藤沢さんの小説は、自分が暗いときに読むともうたまらないんだなあ。居ても立ってもいられない」

『司馬遼太郎と藤沢周平』(光文社知恵の森文庫)を書いた私も頷ける指摘だが、そのとき樋口はこうも付け加えた。

「藤沢周平はきれいですよ。美意識が最後まで残っている。だけど辛いね、あれは。あまりにもきれいすぎて」

 銀行屋も楽じゃない

 財界の世話役ともいうべき存在だった樋口の名を私は伊藤肇の『はだかの財界人』(徳間書店)で知った。

 住友銀行の秘書役だったころ、樋口は「アカシアの雨がやむ時」の替え歌をつくった。

 札束の夢にうなされ このまま死んでしまいたい 夜があける 目がまわる 今日はあの町 明日はここ 泣きたくなるよな 成績表を見つめて あの支店長は 涙を流してくれるでしょうか

 これを紹介して伊藤は「銀行屋も楽じゃないねぇ」と注釈をつけている。

 樋口は天皇といわれた堀田庄三の秘書役だった。その後、アサヒビールに移り、社長、会長を歴任する。


 私が初めて会ったのは、樋口が社長になってまもなくで、私は当時、樋口の古巣の住友銀行のドン・磯田一郎を痛烈に批判した一文を『プレジデント』に書いており、けっこう緊迫した出会いだった。

 ただ、樋口独特の気さくさで、すぐに打ちとけ、京大の学生時代、樋口が長崎市長をやった本島等と同期で一緒にカトリック学生連盟の活動をしていたことなどを聞いた。

 その後何度か会ったが、一番驚いたのは1997年夏、樋口が理事長だった財界フォーラムに呼ばれて講演した時である。

 「どうして、サタカなんか呼んだんだ」と後から樋口はいろいろ言われたらしいが、私は銀行批判や大蔵批判を激しくやり、大人のワッペンである勲章などもらってはダメだと結んだ。

 すると樋口は司会者として、「人斬り稼業だとかいろいろ言っておりますけれども、彼の表現をもってすれば、あらまほしき評論家の一人だと私は思っています」と言ったのである。

 思わず私は、「本気ですか(笑)」と聞き返した。

 「いや、ホンマ、ホンマ、この一徹さは一服の清涼剤というか、自分では過激でも何でもないと言っておられるけれども、非常にすばらしいものがある。
 実は、私も勲章の内示をたびたび受けて、迷っておったんですけれども、今やめようと思いました(笑)。外国の勲章はもらうつもりでおります。これは断ると大変非礼になりますので」


 この発言にもビックリしたが、実は樋口の立場で勲章拒否はできないだろうと思っていた。しかし、それを貫いたのである。いろいろリアクションはあったようだが、立派である。その後、樋口は座長をしていた「日本と日本人の未来を描く」フォーラムで叙勲の廃止を提言した。

 苦情は成長のもと

 樋口をまだあまり知らなかった時、ある雑誌で批判したら、樋口は私に直接電話をかけてきた。私の経験では、自分でストレートに釈明の電話をかけてきたのは、樋口と富士ゼロックスの会長だった小林陽太郎だけである。知り合いの新聞記者に頼んだり、媒体に圧力をかけて私の連載をつぶそうとしたりする経営者が多い中で、この2人の印象は強く、すがすがしい。

 樋口は、主婦連など、消費者団体から何か言ってくると、待ってましたとばかりに自分から出かけた。

「そうすると、不思議そうな顔をして、会長、副会長が出て来られる。弁護士も出てくるわけですよ。それで、ここへ来る人なんていないんだけど、あんたみたいに、言うたらすぐに来る人は初めてだ、と。

 僕はここへ来るのが楽しい、おもしろいと言った。そうすると、弁護士さんがいろいろと言うから、あなた方から呼ばれてないから黙っていてください、と。それで僕は会長さん、副会長さん、みんな仲良しになっちゃう、すぐ」

 ビールについてもそうだった。

 社長時代、樋口は「苦情大好き」と言って、かかってきた電話をすべて記録させ、こちらから「こんにちは」と電話をかけた。まさか、社長自ら電話をかけてくるとは思わないので、「ホンマに、あんた社長なの?」と疑われたこともあった。

 私との対談で樋口は、「苦情というのは成長のもとですよ。やっぱり刺激受けるから、非常にありがたい」と言い、「わざわざ電話をよこすというのは、かなりしつこい人でしょう」と尋ねると「そういうの大好きなの」と笑っていた。

 それで私は脱帽したが、苦情をある種の宝として大切にしたことが、アサヒビールの奇跡の急成長の秘密だったことは容易に想像がつく。“朝日”ビールではなく“夕日”ビールだと陰口を叩かれるほど、当時、アサヒビールはキリンなどに差をつけられていたからである。

 思いがけないところで会ったこともある。

 夕方、池袋へ向かう地下鉄丸の内線に乗っていたら、池袋に着く少し前に樋口に声をかけられた。奥さんと一緒に目の前に立っている。その時のことを樋口はこう語っていた。

「そんなに何回も会っていないのに結構会ってるような気がするから、不思議な人。この間、池袋の芸術劇場へ行こうと思ったら、佐高さんが目の前で本を読んでいた。悪いなあと思ったけど『こんにちは』と言ったの。そしたらこの人びっくりした顔してね。『あんた地下鉄に乗ってるの?』って言うの」

 「あんた」ではなく「樋口さん」と言ったはずだが、驚いたことは確かである。広告などを見てると楽しいので、樋口はわりに電車に乗るのが好きだったらしい。


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