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【多事争論】 特集 : TBSが「多事争論」を隠した日 - 安倍晋三は日本の癌 - / 清瀬 航輝  [2014.08.21] 【多事争論】

【多事争論】



【多事争論】 特集 : TBSが「多事争論」隠した日 - 安倍晋三は日本の癌 - / 清瀬 航輝  [2014.08.21]



【多事争論】 特集 : TBSが「多事争論」隠した日 - 安倍晋三は日本の癌 - / 清瀬 航輝 [ 2014.08.21 ]
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https://youtu.be/mrdqnz7R5YY
 2014/08/21 に公開 55分06



E S S A Y 花 の 命


 それも、いわば「運命」だったのかも知れない。

2012. 09 .18

 ひとり苦しんだ2005年の秋から冬。そして、新百合ヶ丘の部屋を捨てた、2005年12月の初旬。本当は、17歳の頃に暮らした早稲田に住みたかった。その頃に住んでいた部屋の近くで、手頃な部屋を探してみた。インターネットで検索をして見つけ、連絡先の不動産屋に、翌朝だったか出向いた。
 
 知り合いの人が同伴してくれた。保証人など、色々と世話になってもらうためだった。その不動産屋は、高田馬場駅近くの、騒がしい横丁の一画、とあるビルの2階にあった。見つけたその部屋をと、事前の電話連絡も済ませていたので伝えると、担当者の男は色々と理由をつけて、その部屋を断った。「このマンションには外国人が多く住んでいる云々」と、つまらない嘘だったので、これ以上は聞くまいとしていると、代わりに次々と物件を示してくる。
 
 不愉快だった。静かで環境の良い早稲田をと来たのに、山の手の内側の部屋はないと言われ、外ならあるということになった。普段ならこの時点で店を出るところだったが、同伴している知り合いの手前、それも勝手にはままならず、仕方がないので物件の内容を聞いてみた。
 
 担当者は部屋探しを急いでいた私の足もとを見ていた。中央総武線各駅の東中野、西武池袋線線の東長崎、そして、埼京線の十条まで行かされた。「いいと思いますよ」と言われ、断らずについて行くと、東中野は防犯上も物騒な一階で、住宅街の道の角だった。外から目立つ上、すぐ目の前は公園だった。部屋も狭かった。
 
 ほかもみなそうだった。駅から徒歩10分以内の立地だったが、みなさびれた部屋だった。マンション、というよりはアパート、といった感じで、冬は寒そうなところばかりだった。それ以前に、新宿から遠い。何かと都心には近い必要があったので、やはり新宿から近いところ、高田馬場からも近いところで希望した。
 
 不動産屋は渋々、不良物件以外を出してきた。ようやく出てきたのは東西線落合駅の近くにある2つの部屋だった。ひとつ目は駅から徒歩5分以内だったが、あまり良い印象ではなかった。
 
 もういい加減、疲れていた。ふたつ目の部屋へは、更に5分ほど歩いた。坂道を下り、住宅街の狭い道を歩き、ようやく着いたその部屋は、真新しいマンションだった。エントランスにはオートロックの自動ドアがあり、築数年の物件だった。敷地面積も広く、エレベーターで4階建ての4階のフロアに行き、長い廊下に面した部屋の、そのいくつかが空いているとのことだった。静かで、清潔そうで、とてもいい感じだった。
 
 どの部屋も間取りは一緒だと言われ、そのうちのひとつの部屋に入ると、あまりの良さに、探していたのはこれだと感動した。ベランダに出ると、初冬の澄んだ青空が広がっていて、気持ちまで開けてきそうだった。とにかく良い部屋だった。
 
 部屋はいくつもあった。しかしそれぞれ家賃が違っていた。投機を目的としたオーナー制度の物件だったため、それぞれの部屋に所有者がおり、その家主の言い値で月家賃が決められていた。
 
 その中で最も安い部屋を希望すると、担当者はどこかに電話をかけ、「すみません、この部屋はもうありません」ときた。ならば次に安い部屋をと伝えると、またどこかに電話をかけ、「すみません、この部屋も」となる。結局は一番高い部屋をあてがわれた。もちろん芝居だと分かっていた。しかし面倒だったので、もういいかと少し割高な部屋で決めた。結局、この部屋で後5年半を暮したが、その割高な分、余計に支払った金額は、合計で60万円以上となった。塵も積もれば何とやらである。勿体ないが仕方ない。
 
 それにしても気持ちが良かった。最初は部屋に何もない。ここで新たに暮らすのだ、生きるのだという前向きな気持ちだけが、唯一の支えだった。誰が支えてくれる訳でも、また励ましてくれる訳でもない。慰めてくれる人もいないままに、年の瀬へと季節は流れてゆく。その只中で、暮らしを一から仕切り直す作業は、或る意味で面白かった。不安や孤独、それから焦りも何も、何とか忘れようという「したたかさ」で手一杯だった。
 
 それから数年が経った。暮らしも落ち着き、日々の暮らしにもようやくゆとりが持てるようになった頃、すぐ近所に「林芙美子記念館」という施設があることを知る。2009年12月の初旬。この居心地の良い部屋に引っ越してから、ちょうど4年目になる頃だった。相変わらず師走の空は澄んでいて、どこまでも青く、清澄で美しく、そして微笑のように、冷たく優しかった。
 
 いわゆる「落合の家」のことだった。林芙美子という作家が愛した自宅が、今は「林芙美子記念館」として、上落合の地に静かに残されている。また私の部屋の周辺は、三ノ輪と呼ばれる狭い地域で、かつて「文士長屋」と呼ばれた「もぐら横丁」「なめくじ横丁」などがあった場所だということも知った。林芙美子を始め、尾崎一雄、平林たい子、壇一雄、會津八一、壺井栄、羽仁文雄などが居を構えたという。そのほかにも、文人、才人に縁のある土地と知り、今ではそこを越してしまったことが惜しまれる。もう一度、そこに戻って住めたらいいなと、ふと思うことがある。
 
 林芙美子を身近に知ってから、もう3年近くになろうとしている。とりわけ最近、林芙美子に心寄せる日々を過ごしている。あの「放浪記」である。私は芙美子が好きだ。人懐こい言葉や想い、そして底辺から醸成された精神のしたたかさに、とても共感するものを得る。愚直に何かを信じ、放浪の果てに何かを得んとする姿。まるでそれは、真理を求めて彷徨う巡礼者のようだ。或いはそれは、いくつもの霊場を巡る、孤独な遍路旅のようだ。いわば人としての業なのであろう。
 
 それはほかの文士たちにも言える。私は最近、そうした人たちのように、底辺から生み出される文章の力を、何とか何かしらのかたちで示せないか、腹の底から想いがあふれてきている。彼らはいつだって捨て身で生きていた。生活よりも精神で生きようと、横丁の片隅で何とか生きていた。芙美子は「放浪記」が売れたことで生活が変わるが、しかし心は「放浪記」のままであったと思われる。芙美子が失わなかった実直さが、私はことのほか好きだ。いや、そういう人間的な精神に、心見失いそうな私は、いつもすがっていたいのだ。
 
 2011年3月11日の震災により、翌日1号機が水素爆発した東京電力福島第一発電所は、その後も次々と事故を繰り返し、2号機、3号機、そして使用済み核燃料プールが保管された4号機と、みなことごとく放射性物質を撒き散らした。あの一連の事故が、この落合の地から、結果、私を遠ざけた。そのことについて、ここでは書かないが、あの事故が起こらなければ、私は今も、愛すべき落合の部屋に住んでいたと思う。それを手放したことを、今はひとり惜しんでいる。
 
 しかし、それもまた放浪の宿命なのではないだろうか。考えてみれば、早稲田に住みたいといって、狐に騙されつつ見つけた部屋だったし、流転というか、留まりたくとも、やがて水も、流れるところに流れ行くのであり、それもまた仕方のないことなのだろう。私が私であるように、水もまた水として、流れに逆らうことなど出来はしない。得たものも、また失ったものも、すべてはみな流転の定めであり、人間としての業であろう。
 
 騙したり、騙されたり、苦しめたり、苦しめられたり、人の世は冷めたもの。「おもしろきこともない世をおもしろく」と言ったのは、高杉晋作であった。冷めた目で見れば、この世に何の意味があるものかと、ひとり闇に嘆きたくもなる。しかし、たとえば芙美子のような、純心を捨てずに生きる姿、その何かを信じる強さに、私もまた生きる者のひとりとして、純心を見失わずにいられる。辛い業を受け入れることも出来る。世の中には、そうした救いもある。会ったこともない、本当の内実を知りもしない過去の人を、むやみに美化するつもりはないが、それでも「おもしろきこともない世をおもしろく」、私も何かを探して、何かを信じて、私なりの「放浪記」のまま生きていたいと切に願う。
 
「花の命は短くて 苦しき事のみ多かりき」
 
 最後の作品「浮雲」に芙美子が残した有名な一文であるが、これには続きがある。
 
「風も吹くなり 雲も光るなり」
 
 人間の幸福の明暗など、本当のところは分からない。分からないなれど、しかし明が暗になるように、暗もまた明へと転じる。明も暗も紙一重、裏と表は一枚のカードかも知れない。いかようにも転じることが出来る。生が死へと転じるように、死もまた生であるとさえ言える。
 
 人間とは謎の多き生き物。本当に不可思議なもの。笑い乍ら泣いたり、また泣き乍ら笑いも出来るのだから、まともに考えるだけ無駄なのかも知れない。そう考えれば苦しみも可笑しく思えるし、抱え込むこともないようにさえ思われるから、やはり不可思議である。
 
「花の命は短くて」
 
 どこかしら、芙美子の声が聴こえてくる。
 
「苦しき事のみ多かりき」
 
 そうだと思う。世の中、真剣に考えれば愚かなことばかり。時に愛とて愚かな戯れだし、善も悪にさえなるのだから、苦悩を抱えないほうが、むしろ異常だろう。みな純心を否定し乍ら、処世術と表層ばかりで生きている。それらにくじけて、うらぶれることばかり。
 
「風も吹くなり」
 
 自分が生きていることすら間違っていると、いつしか世捨て人となりもする。彷徨い歩き、歩き疲れて橋の上、ひとり川面を見下ろし、全てを投げ捨てたくもなる。何を見ても何も、もう感じなくなる。消えてしまいたくもなる。
 
「雲も光るなり」
 
 不意に涙があふれてくる。何かしら張り詰めていた見えない糸が、そこで弾けて切れたなら、あとはもう大丈夫。もうしばらくは生きてゆけるはず。その繰り返しの中、絶え間ない流転を繰り返してしまえばいいと思う。純心さえ見失わなければ、私は人生も心転じると思う。平穏さを得られるか否かは分からないけど、それでも流れ転げた石の、角のとれた丸みを以って、世の河原の瀬に佇んでいられたらいい。その水の流れを、誰にも何とも思われず、ただひとり、ぽつりと静かに聴いていたい。
 
 勇気を持たないと。心のままに生きられる、その捨て身を以って、自分自身をおもしろく、馬鹿げた人生でもいいから、花遍路をひたすらに暮らし生きて、この何もかもを終えたい。
 
 何気ない道端に咲く、ささやかなドクダミのような花の、その白さでいたいと思う。たとえ短くとも、清澄な花の命として。



 2014/08/18 に公開

 幼少期からテレビを通じて視触れ続けてきた筑紫哲也さんの遺志を受け継ぐべく、本日よ­り私なりの「多事争論」を始めます。とはいえ不定期、かつ原稿の用意も基本的にはあり­ませんが、毎回3分間という短い時間の中で、現代の世相、そして日本社会の行く末につ­いて、私なりのメッセージを発してみたいと思います。 [ 2014.08.19 / 清瀬 航輝 ]
 
※ 「多事争論」はNo.010より、別チャンネル「STARS LIFE ☆ YouTube」から出すことになりました。 [ 2014.09.08 / 清瀬 航輝 ]
 
清瀬 航輝 [ http://kiyose-kouki.jimdo.com ]
 
(C) STARS LIFE 2014 All Rights Reserved.
 
・ 筑紫哲也「多事争論」 ( TBS NEWS23 )
→ [ http://goo.gl/8w1alv ]
 
※ 本日、2014年8月20日(水)午後6時頃、TBSが上記の番組ページを削除しまし­た。この件について、午後6時半頃、TBSに電話をしました。このようなことがあり、­非常に残念な思いでいます。
 
【お知らせ】 現在、STARS LIFE ☆ YouTube [ http://www.youtube.com/starslife2011 ] からチャンネル移転中ですが、移転先のURLが [ http://www.youtube.com/channelk2014 ] に変更となりました。今後も独自の動画を発信します。両方のチャンネル登録をお願いし­ま­す。 [ 2014年04月25日 / 清瀬 航輝 ]


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