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死者は眠らない 兵頭に訊こう 2015年8月10日

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 死者は眠らない


兵頭に訊こう 2015年8月10日

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(Crazy PM ABE has possibility to bring back dark militaristic empire Japan of the 1930s.)
(Crazy PM ABE has possibility to bring back dark militaristic empire Japan of the 1930s.)

 平和は、昼寝をしていて守られるものではない。戦争に向かう邪悪で愚かな状況と闘わねばならない。その点、長崎市長は状況と斬り結んでいた。

 これまで2回にわたって、バートン・J・バーンスタイン(スタンフォード大学歴史学教授。冷戦史、特にトルーマン政権の外交政策を専門とする歴史家)の「原爆投下は何を問いかける?」を叩き台にして、太平洋戦争時の原爆投下を考えてきた。

 今回はその最終回として、かれの論文の結論「なぜ投下され、何が問題だったのか」を採り上げる。

 バートン・J・バーンスタインは書いている。

 「広島や長崎への原爆投下を可能にしたのは、第二次大戦の戦闘を通じて、(戦闘をめぐる)旧来の道徳観の再定義がなされたためであり、これが、その後における核時代の恐怖の源泉となっていく。

 米国人が原爆の投下は本当に必要で、望ましく、しかも道徳面での問題はなかったのだろうかと考え出したのは、政府の公文書が公開され、戦時中の敵意が薄れ、(問題をめぐる)感情が変化した戦後になってからだった。

 戦後に発表された、ウイリアム・レーヒ提督(大統領付幕僚長)、アイゼンハワー将軍など、戦争指導者たちの回顧録の出版とともに、日本に対する原爆の使用が妥当だったのかどうかをめぐって疑問がもたれ始めるようになる。

 長崎への原爆投下後にトルーマンが時折主張したように、原爆の投下によって、日本本土への侵攻を行なっていれば失われていたはずの50万の米国将兵の命を救えたという主張は誇張されており、救った可能性があるとしても、実際にはその数は5万程度だったということは、1945年6月、7月の時点での米国軍上層部のレポートから判断しても明らかであり、米国市民も次第にこの事実を認識するようになった」

 原爆投下は、50万の米国将兵の命を救えたという主張は、原爆投下を正当化するためのものだ。「5万程度だった」という数字さえも正当化するためのものである。

 敗戦間際の日本は、もはや米軍と戦える武器は何もなくなっていた。主婦まで担ぎ出した竹やり訓練が行われていた。「いざとなればカミカゼが吹く」と真面目に語られていたし、上陸した米兵とは柔道・空手で戦う、ということさえ真剣に語られていた。食べるものもなくなっていたのだ。この状況でどうして5万人もの米軍の犠牲者が出るのか。

 敗戦後、日本に進駐した米軍は、最初こそ敵意に満ちていた。しかし、次第に日本国民に哀れみの感情をもっていった。それは戦争を継続するどころではない国民の惨状を、知っていったからである。

(タイム誌 1945年8月20日号 日本の降伏をバツ印で表現)
(タイム誌 1945年8月20日号 日本の降伏をバツ印で表現)

 「米国市民はまた、第二次世界大戦の戦闘、特に、民間人を標的とした大量殺戮がいかに残酷なものであったかも次第に理解するようになる。広島や長崎への原爆投下を可能にしたのは、第二次大戦の戦闘を通じて、(戦闘をめぐる)旧来の道徳観の再定義がなされたためであり、これが、その後における核時代の恐怖の源泉を提供していくことになる。

 こうした道徳観の再定義が、ドイツによる600万人ものユダヤ人の組織的殺戮、日本軍による南京大虐殺などに代表される、第二次世界大戦中の残虐行為を契機としているのは事実である。とはいえ、極端な残虐行為が旧枢軸国側によってなされたのは事実としても、当時の主要な国民国家のすべては、道徳的基準をめぐって分裂し、ときに彼らの指導者だけでなく、市民たちも(戦闘における新たな道徳観を)是認していた。

 1945年までに、文字どおりの全面戦争の概念が定着するようになり、もはや(旧来の)道徳的な牽制要因はほとんど残されていなかったのである。敵の軍事勢力と民間人を区別しようとしたフランクリン・ルーズベルトの崇高な配慮さえも、次第に形骸化してしまっていた。当時の新たな道徳的価値観の下では、それがいかなる国であれ、原爆を手にした場合には、彼らはそれを敵に対して使用していたであろう」

 バートン・J・バーンスタインの論は、良心と客観性を装いながら、東京裁判と同じ戦勝国の論理に裏打ちされている。

 旧来の道徳観の再定義が、広島や長崎への原爆投下を可能にした、というのは都合のいい論理だ。道徳観の再定義などではなく、ソ連を敵視した世界制覇への戦略が、原爆製造を必然化し、その効果を確かめる対象として日本を人体実験の場として選んだのである。

 「当時の新たな道徳的価値観の下では、それがいかなる国であれ、原爆を手にした場合には、彼らはそれを敵に対して使用していたであろう」。実は、この言葉は、論のモチーフ自体を破壊している。たまたま米国が先に完成したから原爆を使用した。どの国でも原爆を手にしていたら使ったであろう……。歴史は、太平洋戦争のみならず、その後も原爆を使ったのは米国のみだったことを示している。イスラエルでさえ、北朝鮮でさえ使用していない。

 しかも、米国が原爆を使ったのは、すでに敗戦が必至の日本に対して、人体実験のためだった。バートン・J・バーンスタインの論の瑕疵は、この忌まわしい動機への考察を都合良く排除しているところにある。

 戦勝国として進駐してきた米軍は、人体実験の情報を独占し、当事者の日本にさえ情報を与えなかった。広島や長崎の医者たちには、治療方法の発表と交流を禁止し、かれらが集めていた、さまざまな死没被爆者のデータを没収した。

 さらに日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させた。放置したまま被曝症状の悪化を診たがったのである。まるで約20億ドルもの巨費をつぎ込んだマンハッタン計画の貴重な成果を独り占めするような挙動だ。

 バートン・J・バーンスタインは続けて書いている。

 「実際、スターリンだけでなく、英国の指導者も、米国による原爆の使用を問題にしようとはしなかった(訳注:原爆開発はソビエト側には知らされていなかったが、ポツダム会談において、トルーマンは、その事実をそれとなくスターリンに伝えている)。ましてや、それがドイツや日本の軍国主義者であれば、間違いなく敵国の都市に原爆を投下していたはずである。

 当時の米国の道徳観が特異的に(退廃していた)わけではない。原爆を唯一開発できたという点で、米国が技術的にみれば、例外的に進んだ状況にあっただけである。原爆をもっていたのが米国だけだったからこそ、それを使用したのは米国だけだったのである。

 だが、こうした歴史的な文脈が存在したからといって、なにも米国市民やその他の人々が(原爆の投下という)行為を肯定的に認めてよいということにはならない。大切なのは、1945年の広島への原爆投下の前後において、その使用に反対するものが、(こうした歴史的文脈のゆえに)きわめて希だったことを認めることである。

 実際、当時において、なぜ米国が日本に対して原爆を使用したかを問いかける人々は ごく少数だったのである。だが、もし原爆が使用されていなければ、怒りに満ちた米国人を含むより多くの人々が、なぜ使用しなかったのかとトルーマン政権を批判していたのもまた事実であろう」(『Foreign Affairs Report』1995 NO.2)

 「原爆をもっていたのが米国だけだったからこそ、それを使用したのは米国だけだったのである」。この論理を覆すのは簡単だ。原爆を持っていることと、それを実際に使うこととは、次元の違う問題なのである。それは銃を持っている米国人が、すべて殺人者でないのと同じだ。

 「原爆をもっていたのが米国だけだったからこそ、米国はそれを使用する必要がなかった」。この論理の方が圧倒的に現実味がある。しかもこの当時の日本はソ連を介して米国に降伏の打診をしていた。しかし、米国は広島と長崎に異なった原爆を投下し、人体実験をして、その効果と影響を知りたがっていた。それはソ連との核戦争に圧倒的な情報の格差をつけるためだった。


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