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大西瀧治郎中将と日本の心 ねずさんの ひとりごと 2012年10月10日

ねずさんの ひとりごと


 大西瀧治郎中将日本の心



ねずさんの ひとりごと 2012年10月10日 

桜01

 メディアの偏向が著しい昨今ですが、戦後の新聞記者やテレビなら「問題発言!」として、大問題にされ、大騒ぎになるかもしれない発言のことを、書いてみたいと思います。

 昭和19(1944)年10月20日のことです。
 この日の早朝、特攻隊の産みの親である大西瀧治郎海軍中将は、初代海軍特別攻撃隊(特攻隊)に任命された関大尉以下、敷島隊の隊員達を集めて次の訓示を行いました。

〜〜〜〜〜〜〜〜

 日本はまさに危機である。
 この危機を救いうるものは、大臣でも軍令部総長でも、のような地位の低い司令官でもない。
 したがって、私は一億国民にかわって、みなにこの犠牲をお願いし、みなの成功を祈る。

 みなはすでに神であるから、世俗的な欲望はないだろう。
 が、もしあるとすれば、それは自分の体当たりが成功したかどうかであろう。
 みなは永い眠りにつくのであるから、それを知ることはできないだろう。

 我々もその結果をみなに知らせることはできない。
 私はみなの努力を最期までみとどけて、上聞に達するようにしよう。
 この点については、みな安心してくれ。

〜〜〜〜〜〜〜〜

 ここまで話して、中将は涙ぐまれたそうです。
 そして、隊員たちひとりひとりの顔を、その目にしっかりと焼き付けるように見回し、
 ひとこと、

 「しっかり頼む!」
 と述べられました。

 さらに訓示を続けられたあと、大西中将は、隊員一人ひとりと握手されています。

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大西瀧治郎中将の訓示
大西瀧治郎中将03


そして、ここからなのですが、昔の(1970年代頃)の映画やドラマなどの中では、中将がこの訓示の中で、
「私も君たちのあとを追う」と述べたとしていました。
理由は、そうしないと当時でさえ、「いまどきの若い人にはわかりにくい」からだったのだそうです。

けれど実際には、大西中将は、
「君たちを送るのに際し、私は行くことはできない。なぜなら私は将官だからだ」と述べられています。

どちらが実際に述べられたことなのかということは、この際、横に置いておいて、今日、申上げたいことのひとつは、中将が「行けない」と述べられた、もしくは述べられなかったとしても、中将が一緒に「行けない」ことは、その場にいた誰もが、ちゃんとわかって話を聞いていた、ということです。

平成にはいったいまの若い人なら、「君たちのあとを追う」どころか、そもそもその日に一緒に飛び立たないことで、
「ざけんなよっ! ひとに死ねと言っておいてテメエだけは助かろうって魂胆かよっ!」などと言う騒ぎになるかもしれません。

たとえば、です。
尖閣にやってくる支那漁船(漁船の体裁はとっていますが、もともと軍船を見た目だけ改造したもの)に対して、海保の職員に総理、あるいは海保の責任者が、
「君たちは体当たりして死んでくれ。私は行けない」と発言したら、どうでしょう。

もっといえば、福島原発事故でも実際にあったことですが、事故現場に突入する、それはもしかしたら「死」を意味することかもしれないけれど、その場に、赴く。
いや実際に、その場に突入した自衛隊や、東電の職員のみなさん方がいました。

そしてその突入は、常に上司の許可、決断がなければ実現しないことでもあります。
その上司が、部下に対し「君たち死んでくれ。私は行けない」と命令するのです。

それが、どれだけ辛いことか。
パイロットや、海保の職員、あるいは自衛官や東電の社員などは、それが仕事であり、使命なのだからと、何か軽く考えてやしませんか?と言いたいのです。

もちろん、責任上、そうすることが仕事であり、使命であることは間違いないことです。
けれど、数時間の後には、いま、目の前にいる若者が、部下が、死んでしまうのです。
部下からすれば、その上司の命令で、自ら命を絶つことになる。

もちろん、そうしたケースは世界中にたくさんあることなのかもしれません。
けれど、日本人の場合、そこにひとつ、大きな違いがあるということを申上げたいのです。

それは何かというと、上長と部下の間に、それだけの深い信頼関係がある、ということです。

支那には、昔、督戦隊という組織がありました。
民間から兵士を徴発し、その民間人に武器を持たせて敵と戦わせる。
敵が発砲してくれば、誰だって怖いです。
ですから、中には逃げ出そうとする兵士もいる。
その兵士を逃げられなくするために、後ろから逃げようとする味方の兵士を打ち殺すのが、督戦隊の役目です。

要するに、上司と部下の間に何の信頼関係もない。
ないから、強制するために、ペナルティを与える。督戦隊を後ろに置く。

一般に左翼活動家や、昨今の企業内にもよく見受けられることですが、「人は命令すれば動く」と思っているようです。
だから「軽い」のです。
そういう「軽さ」で、戦前の日本を語ろうとする。
だからわからないのです。

おそらく中高年で管理職のご経験のある方、あるいは親として子を育てた経験のある方なら誰でもわかると思うけれど、人は命令だけでは動きません。
命令を強制しても、そこにあるのは面従腹背、そういう者は、いざとなれば逃げてしまう。
いざというとき、最後まで踏みとどまって命がけで何かをなす、という組織行動は、上長と部下が一体となって、ひとつの目的に向かって進もうとするときでなければ、真価を発揮できるものではありません。

そして「一体となる」ためには、日頃からの尊敬と信頼の熟成が必要だし、同時に、上長となる者、部下となる者双方に、それが「わかる」だけの訓練が必要です。
なぜ訓練が必要かといえば、上司と部下の両方に、高い次元での目的意識と完遂意識の共有化が必要だからです。

ご参考に、昨今の韓国軍隊のシゴキの写真を下のURLの写真でご覧いただけますが、こういう馬鹿な手合いばかりしているようでは、いつまでたってもろくな軍隊はできない。
http://jackassk.web.fc2.com/funny/photo/army/index.html

「士は己を知るもののために死す」といいます。
日本人は、自らの名誉、使命、人生の目的、責任、そうした高い次元のひとりひとりの意思と、その思いをしっかりと受け止めてくれ、同じ思いを共有してくれる上司。
己のために、命を投げ出してくれる上司と思えばこそ、その上司のために、自らの命をも捧げようとする。
火事場のクソ力を出す。

そしてその上司が「私は行けない」というときの、その辛さを「わかる」だけの高度な知性があるからこそ、行けない上司の代わりに、自らの命を投げ出す。

大西中将のお言葉に隊員たちは、全員が、特攻命令を出す側にいる大西中将が、自分自身で飛行機に乗って体当たり突撃をして死んだら、その方が大西中将にとっても、よっぽど楽だと知っている。
一瞬で死ねるからです。

けれど中将は、作戦指揮者です。
指揮者は、戦いの帰趨を見極めなければなりません。
見極めるためには、みんなと一緒に死んであげることができない。

ひとたび飛行機が飛び立てば、作戦の成功はひとえに隊員たちの技量に、すべて委ねられます。
目的を告げ、作戦の成功を祈り、すべてを隊員たちに委ねる。

そして自らは、最後の最後まで戦線の帰趨を見守り、責任を持って闘い抜き、その責任を全うする。
それが、将官に与えられた使命です。

大西中将は、このときすでにみずからの死を覚悟していたといいます。
その覚悟を全員が「知って」いたからこそ、中将が「行けない」ということの裏側にある、中将の覚悟をみんなが感じ取ったし、中将の言葉の重さを、誰もが理解したのです。

私は、ひとの死を前にして、こういう言葉では言い尽くせない、もっと大きな言葉にならない「心の言葉」の応酬ができるというのは、当時の軍人たちが、いかに優秀だったかということです。

当時のパイロットは、勉学優秀で、国内最難関の海軍兵学校を卒業した若者であり、しかも運動神経抜群で、視力もよい若者です。
要するに、勉強ができて、頭もよくて、運動ができて、礼儀正しくて、字もきれい。
とびきり優秀な若者です。

ガリ勉で視力が落ちたら、それだけで飛行機乗りにはなれない。
彼らは、日本人の若者としてとびっきり優秀な、まさに日本の「宝」です。

その「宝」に、「死ね」と命令する。
しかも、「私は行けない」と言わなければならない。

その辛さ。
責任の重さ。
ことの重大さ。

そしてこういうことを、上官と部下が、瞬時に互いに理解し共有できたところに、真の日本軍の強さがあります。
そうでなければ、米国だけで工業力で80倍の国力、さらに英仏豪その他、まさに世界を相手に戦うなどということはできませんでした。
支那事変にしても、何度も繰り返しますが、支那国民党軍だけで、陸軍兵力は210万。
単純計算でも日本陸軍の8倍以上、海外派遣兵力とすれば14倍の数のいる敵と、貧しい日本が戦ったのです。

普通の「常識」でいったら無謀といえるかもしれません。
なるほど戦闘では、日本はついには本土まで攻められ、焼け野原にされるところまで行った。
けれど、戦いの目的である「人種の平等、大東亜の独立、民族自立」は、しっかりと実現してしまっています。

さらにいえば、大西中将は部隊に常駐しているわけではありません。
おそらく隊長の関大尉ですら、大西中将にお目にかかるのは、はじめてのことです。
けれど、そのはじめて会う相手にさえ、絶対的といえるだけの強固な相互信頼が成立する。
そのような軍隊は、世界中、どこを探したって、そうそうはありません。

誰だって命は惜しいのです。
その命を捨ててまで奉公する。
軍人としてだけではない、互いに一個の人間として、深く結ばれた<絆>と<信頼>があったからこそ、中将の訓示は、隊員たちの胸に沁みたし、中将もそれを語ることができたのです。

そして、戦前の日本には、こういう「精神性の高さ」が、厳然と、あった。
そのことを、私達は思い出さなければならないと思うのです。

日本マクドナルドといえば、「マクドナルドのマニュアル商法」が有名です。
「いらっしゃいませ、こんにちは」と笑顔で迎えるマクドナルドは、全国津々浦々の店舗で、マニュアル通りの均一なサービスが受けられるという体制をとっています。
その均一なサービスを実現するための「マニュアル」が完璧に整備され、全国のスタッフがその通りのサービスを提供する。
昨日入店したばかりのアルバイトスタッフが、今日からもう即戦力として最前線に立つ。
その経営の大成功から、昨今では、あらゆる大手企業で「マニュアル商法」が盛んに行われています。

そのことを否定するつもりはありませんが、ただ、知っておかなければならないのは、その日本マクドナルド自体が、マニュアルを超越したところで、成功を収めたのだ、という事実です。

マクドナルドの日本での第一号店は、昭和46(1971)年の東京・銀座の三越店です。
その立地に目をつけた創業社長の藤田田(ふじた・でん)氏が、三越に場所を借りたいと申し出て、当時の銀座店店長だった岡田茂から、承認をもらいました。

ただし、条件付きです。
「三越は月曜定休なので、日曜日の閉店時刻の夕方6時から、火曜日の開店時刻の朝10時までに、全ての作業を終わらせて店をオープンさせるなら許可する」というのです。

まったく何もないところに、什器を入れ、水やガスをひき、器材設備を整え、カウンターや看板を設置し、仕込みまで終わらせて、火曜日の朝10時の開店時間には、「いらっしゃいませ、こんにちは」と笑顔でお客様を迎えることができるようにする。

普通なら最低でも7日程度かかる準備作業を、寝る間もなく40時間で全て整えなければならない。
これを藤田氏は、空きビルを利用して何度も訓練を重ね、39時間で実現してしまったのです。
まさに、リーダーとスタッフ一同の心がひとつになった努力と創意工夫の賜物です。

さらにいえば、いまどきはコンビニでもスーパーでもあたりまえとなっているPOSシステムも、米国マクドナルドの開発ではなく、日本マクドナルドが開発し、米国及び世界に普及したシステムです。

そしてまた、短期間に多店舗の出典を図るにあたって採用したのがマニュアル営業システムであり、また、事実上日本発のドライブスルー型店舗の採用、集客のための毎日のくじ引きなどのイベントや景品など、今日にいたるまでマクドナルドは、創意工夫の塊といわれています。
単にマニュアル商法が当たった、成功したというだけではないのです。

戦後の日本の教育は、友や隣人を愛しなさいと教えます。
けれど国は悪いことをするところだから、国は愛してはいけないと教えます。

しかし国家とは、その国に住む人々みんなの共同体です。
ということは、みんなの友や家族、隣人の相和が、国家なのであり、国家を愛することがいけないことなら、その国家に住むすべての人を愛してはいけないことになります。
これは矛盾です。
矛盾があるということは、間違っているということです。
もっといえば、いかに言葉を飾ろうが、デタラメはデタラメということです。

国家が共同体であることを忘れ、共同体の中の互いの信頼を忘れて個人主義に走れば、人々は和をなくし、社会の紐帯はバラバラになってしまいます。
みんなで何かを築く、その使命感と、何が何でも責任をまっとうしようとする固い信念の団結こそが、新しい世の中を開くのです。

大西瀧治郎中将
大西瀧治郎中将02

昭和20年5月、大西中将は、軍令部次長として内地に帰還されました。
しかし彼は、同じ都内にある我が家へは帰りませんでした。
官舎に独居したのです。

それを聞いた者が、
「週に一度は帰宅して奥さんの家庭料理を食べてはどうですか」と勧めたそうです。

すると中将は、こう答えられたそうです。
「君、家庭料理どころか、特攻隊員は家庭生活も知らないで死んでいったんだよ。
614人もだよ。
俺と握手していったのが614人もいるんだよ」

そう言って、大西中将は目に涙をためて答えられたといいます。
若く将来性のある優秀な若者を死の突撃に送りだしたことへの責任を、その重さを、大西中将は誰よりも深く理解していたし、その614人のひとりひとりの顔と名前、そしてその全員のもつ個々の事情さえも、大西中将は、しっかりと暗記されていたといいます。

中将は、終戦の玉音放送の翌日、自らの軍刀で、切腹されました。
ふつう、切腹は、重量の軽い短刀を用います。
そして介錯がつくものです。

けれど大西中将は、ひとりで、重たい軍刀を手に取り、腹を十字に切り裂いて、自決されました。
古式の作法にのっとり、腹を切ったあと、自らの手で頸動脈を切ろうされました。

けれど、軍刀は長刀です。ずしりと重い。
切腹で体力を使い果たした中将には、もう重たい軍刀で自分の首を斬るだけの体力が残っていませんでした。

翌朝、大西中将は官舎の者に、部屋で血まみれで倒れているところを発見されました。
まだ息がありました。
中将は、医師の手当てを拒まれたそうです。
そして発見から6時間、痛みに耐え続け、息をひきとられました。

上司・上官の覚悟の言葉を聞いて、「ざけんじゃね~よっ!」という言葉しか返ってこないような社会と、覚悟の言葉を聞いて、しっかりとその覚悟を受け止めれる高い精神性を持つ社会と、いったいどちらが、発展するのでしょうか。
そしてどちらが、世界に認められる国家となりえるのでしょうか。

現代日本に生きる私達は、自分は「人間」であると思っています。
なんの疑問も抱かずに、それが世界の常識であると思っています。

けれど、ほんの数十年前まで、それは世界の非常識でした。
人間というのは、白人種だけであり、有色人種は人間でなく「獣」の一種とみなされていました。
それが世界の常識でした。

ですから欧米による植民地統治というのは、白人種という「人間」が、カラード(有色人種)という「獣」を統御する国際社会の常識的かつ一般的仕組みだったのです。
そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、それが事実です。

そしてそういう世界にあって、日本人は、どの白人国家より、どの白人種より、知的で、勇敢で、高潔で、誰からも好かれる民族たらんとしました。
だからこそ日本は世界から認められる人間の国家となり得たのです。

大西中将は、そうした日本を代表する、勇気と高邁な精神を持った、立派な帝国軍人としての生き様を、まさに体現された方であると、私は思います。

高い教育と、高邁な精神、他人のために自らの命すら犠牲を厭わない日本人の心。
そうした無形のものが、日本人にとって、なによりも尊い財産として、厳に存在した。

その「日本の心」を、私たち日本人は、やはり、大切に育んでいかなければならない。
そのように思うのです。

そしてそれは、何も過去に帰るということではありません。
過去の良いところ、現代の良いところ、そうした良いところを組み合わせて、いまの時代に私達がなし得る、精一杯の良い時代を、未来のために築いて行く。

過去に学び、現代に活かし、未来を築く。
それこそが、日本の日本人の日本主義というものだと私は思っています。

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